美輪明宏の『毛皮のマリー』
清水義和


 寺山修司の『毛皮のマリー』を、昔、アメリカのニューヨークにあるラ・ママシアターの公演で、ダン・ケニーが英訳した『毛皮のマリー』(Marie Vison, 1970)がある。寺山の『毛皮のマリー』と比べて、ダン・ケニーの英訳『毛皮のマリー』はリアリスティックで論理的に組立てられている。

 寺山のオリジナル台本では、幕切れで、欣也は、少女を殺害した後、自死して、サン=テグジュペリが書いた星の王子さまのように、生まれ故郷の星に帰っていく。ところが、美輪さんの演出になると、この地上の何処にもいる筈がない欣也に向って、名前を呼び、霊をこの世に引き戻してしまう。それから、欣也に女装のメイキャップをして、美少女に変身させ、生き返らせるのである。また、芝居が終わった後、緞帳が上がると、一度、死んだ筈の美少女も息を吹き返して起き上がる。

 この終幕の結論の付け方は、リアルでなく不自然だと考え、寺山の脚本の不出来や美輪さんの演出の仕方に対して原仁司氏らから異論があった。

 寺山は、アントナン・アルトーの『演劇と分身』(Le théâtre et son double, 1938)に関心があった。つまり、分身(=ドゥーブル)のコンセプトを欣也と美少年や、紋白と美少女にそれぞれ当てはめて使い分けている。欣也と紋白の関係は、其々美青年と美少女の分身の関係に使い分けて考えている。これはアルトーの分身(=ドゥーブル)の考え方を応用したものである。デヴィッド・ブラッドビ―教授は自著『ベケット』(Beckett,2001)で、アルトーの分身(=ドゥーブル)について「芝居は分身を用いることによって、パラドキシカル(矛盾)になるのが詩的なのであり、しかもその矛盾が抒情を産み出すのであるから、リアリズムで上演すると、そのパラドキシカル(矛盾)な詩が消えてしまい、散文的になる」という。1)

寺山はアルチュール・ランボーの詩に惹かれていた。その理由は、ランボーの詩『イリュミナシオン』(Les Illuminations,1886)には翻訳が幾つもある。だから、翻訳が不可能だ。『イリュミナシオン』は仏語ばかりでなく、英語や白耳義語や独語が混在していて脈絡がとれず文法的に矛盾を生み出し翻訳が不可能で、シュールになる。寺山は『毛皮のマリー』の中で、このアルトーの分身(=ドゥーブル)を使い、その矛盾によって詩情が生れるのを活用している。

 ダン・ケニー英訳の『毛皮のマリー』は、寺山のオリジナルとは逆に、欣也の方が少女に殺される。つまり、サン=テグジュペリ作『星の王子さま』(Le Petit Prince, 1943)で、王子さまが毒蛇によって殺される結末を踏襲している。そしてボードヴィル風な大団円で、毛皮のマリーが主宰する最後の晩餐会で、欣也はワグナーの『さまよえるオランダ人』(1843)が鳴り響く中、マリーと男色の十二の使徒によるファルス的な雰囲気から、幽霊(Phantom)のように復活する。

舞台で欣也が死んでも、物語は元々フィクションなのだから、現実の役者は死んだふりをしているのであり、劇が終われば、死体ではなく、生の役者として、生き返って、立上る。そのように、ダン・ケニーの英訳は翻案して欣也の復活を描いている。

 ダン・ケニーの英訳は、ルイジ・ピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』(1921)の結末に似ている。結末でピストル自殺した少年が、終幕で、フィクションとして自殺を演じた死体から、リアルな生身の俳優に戻る。この所作を、ダン・ケニーは英訳の『毛皮のマリー』に応用している。

 オリジナルの寺山作品『毛皮のマリー』で、サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の結末とは逆さまに、欣也の方が美少女(=毒蛇)を殺してしまう。寺山はサン=テグジュペリの『星の王子さま』から、逆転という新機軸を引出し、模倣ではない。寺山は、ハロルド・ピンターの『昔の日々』(Old Times, 1971)からアナの「起こらなかったことも起こった事のひとつ」のパラドックス(矛盾)を応用し、それを『毛皮のマリー』の結末に使っている。ピンターは、『昔の日々』の劇中に出てくる映画『邪魔者は殺せ』(じゃまものはけせ、Odd Man Out, 1947)のスクリーンに映っている代理人(=光媒体)としてのロバート・ニュートンと、その映画スクリーンを見ている生身の観客であるアナとを同じ舞台上に登場させている。アナが言う「起こらなかったこと」とは、スクリーンに映ったヴァーチャルな映像(=光媒体)のロバート・ニュートンのことであり、「起こったこと」とは、実体のある生身の登場人物のアナである。つまり、この二人が同じ舞台に登場するのである。そのようなピンターの「起こらなかったことも起こった事のひとつ」式の演出方法を、寺山は『毛皮のマリー』の結末で欣也とマリーの対面シーンに活かした。

寺山の『毛皮のマリー』には、劇全体にわたってサン=テグジュペリ作『星の王子さま』のテーマがゆきわたっている。だが寺山の『毛皮のマリー』は、星の王子さまが殺されるのとは反対に、欣也のほうが美少女(=毒蛇)を殺し下手人となってしまう。欣也の場合は自責の念に駆られて自死し、その後で、死んだ欣也の分身として憑かれた人形(物=死体)に変ってしまう。欣也の分身である人形は、霊能者マリーに呼び戻されて、同じ舞台に出て来る。

 美輪が死者の分身となった欣也を呼び戻し、その美少年の頭の上に鬘を被せ、美少女の人形に変身させるが、この場面は、特に美輪の霊力を持ってしなければ、とても信服することができない。

1)David Bradby, Beckett Waiting for Godot, (Cambridge U.P, 2001) 210頁

 

 からくり人形とモスクワ公演 

 千田靖子

 

10月25日~31日の第3回モスクワ国際人形劇フェスティバルにからくり人形公演で

招待され、思いがけなくロシアを体験することが出来ました。

主催者のモスクワ人形劇場総監督のボリス・ゴルドフスキー氏はオートマタ究家で、出版著書紹介講演を2015年5月にセルビア・スボティカ青少年国際会議でされた折、私もシンポジウムの講師として招かれていてお目にかかっていました。また夫人のニーナ・モノーバはウニマ(国際人形劇連盟)の幹事で私の知り合いであったことからも大変な歓迎を受け、手厚いもてなしを頂いて感激の中帰国しております。

  

 終演あいさつ からくり 流鏑馬

 上演に持って行ったのは、トヨタ市在住の新進からくり人形師山崎津義さんの制作による「茶運び」「段返り」「流鏑馬」「酔いどれ親父」「文字書き」からくり人形5点で、千田はパワーポイントを使ってスライドでの解説と人形の演技にバック音楽を入れる操作で参加しました。10月28日の午前と31日の午後にモスクワ人形劇場小ホールにて公演、大人から子供たちまで、大変熱心に見ていただき、盛大な拍手をいただきました。この企画は成功だったと思います。

 ロシア生活の豪快さを知ったのは初日からでまず人形劇場へ挨拶に伺うと、総監督の机の上にウオッカのボトルと皿型クッキーの上にびっしり詰まった柿色のイクラが並んでおり、「まず一杯!」とウオッカをグラスに注いで乾杯をすすめられ、後から来た客ともグラスを重ねるにぎやかさです。モスクワ人形劇場は80年以上の古い歴史ある立派な劇場で、明るいギャラリー、大、小、ホール、レストランに幾つもの楽屋、舞台衣装制作室、道具倉庫他を備えた大規模さは日本には全く無いものです。モスクワにはまだ他にもこうした劇場がありますので、人形劇の歴史の深さ、影響の大きさを痛感しました。

我々遠国からの出演者へのもてなしに、劇団女性と日本語通訳が2名付き添って市内観光へ案内してくれました。地上にバス、タクシーは走っていますが、市民の移動はもっぱら地下鉄で、深く掘り進んだ地下の駅を繋ぐ地下鉄網が完備しているのに驚きました。長い長いエスカレーターの幾つもの列が上下する上の人の流れや、構内に描かれた壁画、飾られた彫刻等スウェーデンのストックホルムの地下鉄に似ていますが、規模はこちらがずっと大

 

 赤の広場 モスクワ人形劇場

でした。

18世紀の王妃エカテリーナも訪ずれたという貴族シェルメティフの豪邸見学に始まって、赤の広場、クレムリン、音楽博物館、オブラッツオ人形劇場・美術館・生家などへ案内してもらいました。モスクワの気候はごく普通の日本の冬の感じでしたが、レーニン廟を見学に出かけた11月30日は急に気温が-1度に下がって、赤の広場で列を作って入場を1時間も待つ我々に冷たい雪が降りかかります。「寒くて我慢できないからもう帰ろう」という私の肩を「もうすぐだから」と抱いたり背中をさすったりして励ましてくれた2人のロシア女性のおかげでソビエト建国の父レーニンさんの白い顔を拝むことが出来ました。あっという間で出た廟の外に歴代政治家の記念像前に捧げられた沢山の赤いバラの花束が印象に残っています。次の日は-3度であったとか。

外は震える寒さでも室内は温かく、赤いボルシチのスープや、ピロシキのパン、ベルニキ、ペルミニなど云う餃子に似た民族料理を安いビールやワインとともに頂く楽しさは格別です。クリスマスにはまだ1と月先でしたが、街の通りは華やかな装飾やライトアップが始まっていました。

 


ウイリアム・シェイクスピア、ハロルド・ピンター&ソートン・ワイルダーの移入史―伊藤敬、伊与田静弘、本島勲の演出方法―

                                                                                       清水義和

1 はじめに

伊藤敬、伊与田静弘、本島勲は1970年代から2000年代にかけて活躍した過去のテレビ、ラジオドラマや演劇のディレクターであるが、その演出方法を観ることなく素通りする前に、謙虚に紐解き、継承すべきドラマツルギーは研究し、現代演劇に接ぎ木し、新しいドラマの新機軸を切り開く必要がある。

伊与田はNHKテレビのドラマの演出経験があり、本島はCBC放送のラジオドラマの演出経験があり、伊藤は東海テレビのドラマの演出体験がある。現在彼らの劇場での演出方法は、テレビドラマやラジオドラマからの演出経験が舞台演出の背景にある。伊与田、本島、伊藤は今も、演劇の公演活動にかかわっている。

現在、あおきりみかんの演出家である鹿目由紀は、コンテンポラリーなアート風の劇を上演している。2018年、鹿目由紀は、寺山修司の『白夜』を演出して上演した。寺山はアバンギャルドであるが、1962年12月、文学座のスタジオ公演『白夜』では、新劇のメソッドであるスタニスラフスキー・システムでドラマを書いた。今度、現代の演出家として鹿目由紀は、2018年7月に『白夜』を再演した。旧態依然とした新劇メソードで書かれた台本の指示通り上演した。鹿目は、新劇メソードを無視することなく、また、寺山のアバンギャルドのメソードも無視することもなく、更に、鹿目の原点にある故郷、会津若松の風土を彷彿とさせて舞台化した。

俳優の杉浦敏治氏は、明治大学の演劇科で学び、先輩の唐十郎を師と仰ぎ、現在、年間5本以上の芝居に出演している。杉浦氏は、「伊藤敬さんが演出する演劇は説得力があり、分かり易く、学ぶべき点は多々ある」と繰り返し主張している。一方、伊藤は、北村想の『寿歌』(2018.3)再演を観て、ギリシア悲劇以来、近代に至る戦争の惨禍を指摘する。本稿では、シェィクスピア、ソートン・ワイアルダー、ハロルド・ピンターの移入史を辿りながら、伊与田、本島、伊藤の演出方法を解読し、演劇の遺産として何が継承されるかを明らかにする。

 

2 伊与田静弘が演出したシェイクスピア劇の『マクベス』

 英国、ロンドン、ミドルセクス大学演出科コース主任のレオン・ルビン教授は長年シェイクスピア劇の『リチャード三世』(Richard Ⅲ,2003年上演)、『ぺリクリーズ』(Pericles,2003年上演)、『ロミオとジュリエット』(Romeo and Juliet, 1996年上演)、『ベローナの二紳士』(Two Gentlemen of Verona,1984年上演)、『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar,1981年上演)、『シンベリン』(Cymbeline,1980年上演)、『十二夜』(Twelfth Night,1981年上演)、『終わりよければすべてよし』(All's Well That Ends Well,1981年上演)、『オセロ』(Othello,1980年上演)、『アテネのタイモン』(Timon of Athens,1978年上演)等の演出を経て、その演劇メソードを確立した。筆者は1997年12月9日、名古屋の愛知県立芸術劇場リハーサルルームと名演会館で開催された『十二夜』のワークショップに参加し、それ以来、ルビン教授の演劇メソードを学んできた。そこで、実際にシェイクスピア劇を上演した場合、どのようにルビン教授のメソードを検証し活用できるかその機会を窺がっていた。その後、2002年、劇座公演『マクベス』(Macbeth)の稽古と上演に立ち合うことになった。劇座の天野鎮雄は文学座で演劇メソッドを学んだ俳優であり『マクベス』の稽古にあたっては、天野の演技指導を通して文学座での経験を窺がう機会に恵まれた。天野は演出家・伊与田の指示だけに頼るのではなく、俳優の立場から次々と意見したり、また他の演劇人の見解を柔軟に取り入れたりした。その方法は、ルビン教授が示したアンサンブルによる演劇メソッドや福田恒存が稽古場で行った舞台設定を髣髴とさせた。

 伊与田が演出した劇座公演『マクベス』の稽古を4カ月近く見学した。本読みから始まり、荒立ち稽古から、更に立ち稽古へと発展していく様子を具に見学できた。プロの劇団で、本番までの稽古を通してみる事は、45年前、前進座での稽古以来の経験となった。その間、福田恒存の劇団雲が1975年に上演したショー作『シーザーとクレオパトラ』(Caesar and Cleopatra)の稽古を見る機会はあった。だが、本読みから本番まで通して見る事は貴重な体験であった。1986年に愛知学院大学ESS公演の英語劇ショー作『運命の人』(The Man of Destiny)の上演に参加した。また、2000年6月、名古屋シアターアーツで年宮沢賢治原作『とっこべとらこ』と、同年8月に、ブレヒト作『セツアンの善人』(The Good Woman of Setzuan)の稽古と出演があった。それ故に、劇座の稽古方法には『マクベス』劇の作り方を見ていくうえで貴重な体験となった。

 本読みから、荒立ち稽古の段階では、伊予田の演技指導はテレビ製作の現場を見ているようで、役者たちは、伊予田の叱咤激励に懸命に答えた。立ち稽古になると、劇座の俳優は台詞を覚えるのが早く、稽古の過程で日に日に演技が上達していくのを見る事にスリルを覚えた。劇をテキストで読んでから観るという習慣を身につけた者にとって、稽古の本読みの段階から本番まで、劇が毎日変貌していくのを具に見る事は必要だと考えていた。

 稽古が始まって1カ月もすると、演出家の役者に対して行う指示が山場をすぎ、それと同時に稽古の間が空く感じになった。勿論、演出家は、役者の演技以外に、照明、衣装、音響効果に気を配らなければならないので、役者の稽古だけに集中してはいられない。また、役者達は身体に台詞が入ってくると、演出家が俳優たちに自由に演じてよいという言い方が多くなる。その理由は、演出家として指摘すべき事が少なくなってきた事を意味する。伊予田は黒澤明の映画『蜘蛛巣城』を手本にして日本の封建制度を抽出して『マクベス』を演出した。また、小田島雄志が書いた書物『物語マクベス』(1)からも意見を取り入れた。稽古場で何度も同じテキストを繰り返し練習していると、演出家ばかりでなく天野の演技指導に説得力が加わった。天野の指導は、例えば前進座では稽古の途中で、演出家に加わって中村翫右衛門が積極的に駄目出しを行ったが、そのときの演技指導と似ていた。また、劇団雲では福田恒存は稽古の過程で翻訳と原文との照らし合わせながら、細かい指示を出した。筆者は劇座での稽古の過程で翻訳と原文との照らし合わせをする機会が与えられた。

 『マクベス』の本読みから始まった稽古が終わると立ち稽古となり、本読みから立ち稽古への転換に立ちあった。本読みの段階では、役者は演出家の指示に従って従順そのものに演じたが、立ち稽古では、演出家の手から離れた役者たちが自在にステージを動き回った。オーケストラの指揮者が、各自違ったパートを大勢の演奏者が、其々の楽器を使って同時に演奏するのを統括するように、演出家は舞台という多重多層の領域に踏み込んで演出する。本読みでは、ロボットのように口だけを動かしていた俳優たちは、立ち稽古では体全体を使って楽器と化し妙なる音色を奏でる。演出家は役者たちがマクベスやマクベス夫人に変身するのを手伝う産婆役に徹した。

 演出家には、指揮者タイプ、俳優タイプ、バレーの振付家タイプなど実に様々あるが、伊与田は指揮者タイプの演出家であり俳優タイプの演出家ではなかった。俳優出身の演出家がドラマを演出すると芝居としては面白く出来上がるが、その俳優の個性が露になり役を掘り下げるのには役立っても、劇全体を見る眼が疎かになりやすい。ルビン教授によれば演出家が登場したのは1874年のマイニンゲン一座が始めたオペラの舞台監督からであった。伊与田は典型的な近代的演出家であった。だからテレビ制作の現場での経験を活かして能率よく演出した。役者に対して俳優術を駆使しキャラクターを細かく構築していく場合、調教師のように役者の欠点を見抜きその弱点を上手く直す点で、伊与田はその技量が幾分不足していた。その場合、天野の発言が説得力を発揮した。

 ロンドン大学のデヴィッド・ブラッドビー教授が示した演出方法はスタニスラフスキーが『かもめ』(The Seagull, 1895)を演出した際作成したノートをもとに演出した。だが、ブラッドビー教授が学生達に『かもめ』のドラマツルギーを示した時それを聞いた人には理屈で分かっても、身体がついていかなかった。ところが、ルビン教授が示した演出方法では頭の方で完全に分かっていなくても何時の間にか身体の方が自然についていった。ルビン教授はその理由について「俳優が、何が出来なくて悩んでいるか分かるから、それをアドバイスしてあげるだけだ」と述べた。役者は観念だけでは動かない。役者は「どうすれば欠点が直るのか」とその治療法を教えてくれる演出家を待っている。ルビン教授が言ったことであるが「演出家は現代医学にも通じたドクターでなければならない」と。『マクベス』の稽古中、演出家は役者がどう演じていいか分からず悩んでいる時にその病気を治す医者のようだと思った。事実、第5幕第3場でマクベスが医者に彼の妻の病を「なおしてやってくれ」(2)と頼む。だが、医者はマクベスを見捨てて逃げる。そこで、マクベスは最後にどうすることも出来なくて自らも「哀れな役者だ」(162頁)と嘆く。そこで、『マクベス』の第5幕は、シェイクスピアが稽古中、役者の欠点を病気と看破して劇作したのではないかと考えた。つまり、シェイクスピアは、この場面で一種の演出のむつかしさを示したわけである。その意味で、この場面でのドラマツルギーを設定するとき、演出家は、いつの時代でも上演するたびに、役者がどう演じるべきかという問題を解決しなければならない。だからこそ、「シェイクスピアはわれらの同時代人」(Shakespeare Our Contemporary)とヤン・コットが指摘したことは至言である。稽古も半ばに入ると、この種の膠着状態が続き、役者たちは苦しい正念場を迎えた。

 伊与田が『マクベス』を演出している時に示した役者の発声法や、役者の登退場の決めかたや、役者達の舞台上でのポジションの決めかたを見ていると、テレビで見る時代劇を髣髴させた。同時に稽古の過程で次第に明らかになった事は、伊与田がオペラの演出家としての卓越した技術の一面を見せた。『カルメン』や『アイーダ』からの引用やその応用を稽古中の随所で披露した。2003年に大須演芸場で上演されたギルバード&サリバンの喜歌劇『ユートピア国株式会社』(Utopia Limited)では演出家・岩田信市と指揮者がいて役者と演奏者はその演出と指揮に合わせて喜歌劇を進行させていく。岩田が演出した劇のように、伊与田の演出は指揮者と演出家を兼ね備えた演出方法が見られた。歌劇ではない演劇でも音楽をふんだんに用いるが、伊与田の演出方法はそれほどオペラ的な演出方法が顕著であったわけではない。それでも、役者への指示は、テレビ番組での演技術からの応用もさることながら、オペラのように役者の発声方法を意識的に細かく設定していく過程で顕著に見られた。『マクベス』の演出でマルカムが国王の息子として品格を表す演技方法として、テレビ局での演技術を強調し、また、発声方法では明らかにオペラ演出での歌手の発声法の指示を的確に行った。つまり、伊与田の演出方法は、テレビの時代劇の演技方法とオペラ劇場での発声方法とを組み合わせた舞台作りに特徴があった。伊与田の演出に対して劇座の俳優達は良く応えて演技を発揮した。本番前のゲネプロでは観客席の後ろの席から舞台をちょうどテレビの画面に収まる位置から見たとき、伊与田の演出意図が浮き彫りになった。しかし、本番で観客席の前の方の座席で舞台を見たとき、役者の演技ははっきりと見えたが、その代わりに伊与田の演出意図であるテレビ画面の枠組みは消え、等身大の役者達の演技が舞台上にはっきり見えた。劇座の公演はストレート・プレイの『マクベス』とオペラ『マクベス』とがダブって楽しめる仕組になった。『マクベス』は先ず台詞劇としての骨格がはっきりとしていて、その上でオペラの効果や照明の効果を付加価値として付け加えるべきではないかと思えた。

 演出を立ち稽古に入った時期から少しずつ詳細に辿っていくと、伊与田が優れた演出家である事が分かった。恐らく、伊与田は『マクベス』のテキストを稽古前に、精読し、明確なドラマツルギーを構築して臨んでいた事は確実である。稽古場では、伊与田の演出プランは役者の演技や現場での変更などでやむなく紆余曲折していった事は否めない。しかし、伊与田氏がテキストから解読した演出プランだけを取り出し、あえて役者や現場の状況を背景に押しやって見直すと、骨格のはっきりした伊与田演出の『マクベス』劇が浮び上がった。 (3)

 

3 本島勲が演出したピンター作『昔の日々』

本島勲はCBCラジオ放送のラジオドラマ以外にテレビドラマでは演出できなかったが、退社後、演劇創造“αの会”を結成し、ハロルド・ピンター作『昔の日々』を、喜志哲雄の翻訳を使い、さがらまこと、東方るい、内藤美佐子らの出演によって、2008年11月27日から30日まで、名古屋のスタジオ・座・ウィークエンドで上演した。本島は、これまで三度同劇を公演し、アナ役で、たかべしげこ、鳥居美江、内藤美佐子らを同劇に迎えて上演した。過去に公演した『昔の日々』の二度の上演に比べ、三回目のアナ役の内藤美佐子は出来栄えが良かった。内藤の演技には集中力が卓越しており、殊にアナには娼婦の性格があり、プルーストの『失われた時を求めて』に出てくる娼婦オデット・スワンを思い出させる出来栄えであった。チャイコフスキー作曲のバレー『白鳥の湖』では、プリマドンナが独りでオデット姫の白鳥と黒鳥の両方を踊る。つまり、オデット・スワンは、娼婦であり、後には社交界の花形ヴェルデュラン夫人に変貌するが、アナ役にも娼婦と貴夫人の両面性を備えたうえ、隠微で毒があると同時に華麗さも要求される。またオデット・スワンのモデルにはナポレオン三世に寵愛された女性がモデルになっている。内藤は、オデット・スワンのような怪しく誘惑的で淫蕩な雰囲気を漂わせた。

『昔の日々』の幕開きでは、1970年代の英国の片田舎で、ケイトとディーリー夫婦が、20年前の友達アナの来訪について話をしている。ディーリーはケイトの反応を観察して訪問者のアナの性格を知ることが出来ると言う。不思議な事にディーリーはケイトがアナとルームメイトだった事をこのとき初めて知る。しかもアナはケイトのただ一人の友達であるという。既に、ディーリーはアナに会う前から妻のケイトによって不可解な事実を突きつけられる。

 20年前の記憶であるからディーリーとケイト夫婦の間で記憶違いや嘘のような逸話が絶えず生じても不思議ではない。彼らが覚えていて記憶にある出来事であっても、それが金曜日だったのか土曜日だったのか曖昧になる。つまりその出来事が金曜日か土曜日だったのかその真偽が曖昧なのである。それと同じように、アナがケイトの下着泥棒という逸話が出てく。実はその真偽のほどがこれまた曖昧である。しかも、三人の会話には絶えず間が挟まり、話が中断し、話の連続性がなくなって曖昧さが益々増大していく。

ディーリーはアナやケイトと20年ぶりに再会したとき、『これら愚かなもの』『見つめれば愛しく、(4)(p.268)知り合えば楽しい』『ブルームーン』『煙が眼にしみる』等の古い歌の断片を唄って喜ぶ。アナはケイトと二人で一緒に20年前ロンドンで秘書をしていたという。それから20年後の現在、舞台は田舎に移り、ケイトは海の近くに住んでいる。しかもケイトはいつも夢見がちである。

ディーリーは20年前に映画『邪魔者は殺せ』(1947)を見に行ったときの話をする。しかも映画館の入り口には誘惑的な女性が二人いたが、不思議なことに観客はただ一人で、それがケイトであった。こうしてディーリーはケイトと映画館で会ったことが切っ掛けとなって二人は知り合いになる。次にディーリーは、ケイトに向って、「もし画家役のロバート・ニュートンがディーリーとケイトの恋愛を知ったら、映画の中のように、ディーリーとケイトのベッドシーンをキャンバスに描くだろうか」と惚気話をする。

ドラマ『昔の日々』は、ディーリーがケイトと映画『邪魔者は殺せ』を一緒に見たことが切っ掛けになって、映画(フィクション)と現実(リアル)とが絡み合い、「起こらなかったかも知れないけれど、覚えていることがある」という問題が生じる。

アナは、ルームメイトのケイトと一緒の部屋にいたとき、泣いていた男の事を話題にする。

     Anna : This man crying in our room. (p.28)

だが、この男が一体誰なのか分らない。しかも、アナの記憶は絶えず間違っている。アナは男が「すばやく私のところへ来て」と言えば、その後で間をおいて、男が「とてもゆっくりやって来て」と訂正する。次いで、男は一度出ていく。だが、気がつくと、ケイトのベッドに二人が居る。けれども、次の朝になると、男はいなくなっているという。だからアナは「初めから居なかったみたい」と答えるのである。

      Anna : It was as if he had never been. (p.29)

 これが、アナが映画『邪魔者は殺せ』で主張した「起こらなかったかも知れないけれど、覚えていること」の別の例である。この記憶は、アナが見た夢の中の記憶かもしれない。或いは、ピンターが見知らぬ男が後で誰だったのか示すために作った仕掛けで、ドラマの後半の伏線になっていた。

ケイトは突然ディーリーとアナとの会話に割って入って、「私はまるで死んでいるみたい」と反発して、アナに向かい不条理な反論をする。すると、アナは「あなたは死んでなんかいなかった」とあっさりと答える。

      Kate : You talk of me as if I were dead.

      Anna : No, no, you weren’t dead, you were so lively, so animated, you used to laugh – (p.30)

『昔の日々』の結末になると、今度は反対に、ケイトの方がアナに向って「あなたは死んでいる」と反撃に転じて攻撃する。ケイトが見た映画『邪魔者は殺せ』の原題は『オッド・マン・アウト』(Odd Man Out)といって、一種のゲームの名前で「残り鬼」の意味がある。ちょうど、「残り鬼」のゲームのように、最初ケイトはディーリーとケイトの会話から次第に排除され、やがて鬼になる気配が生じてくる。すると、ケイトは「残り鬼」になるのが嫌でケイトに激しく反論するのである。

ディーリーは20年前学生だったが、成り行きでケイトと結婚し、その後、芸術関係の仕事をしていた。最初ディーリーが映画『邪魔者は殺せ』を見たとき、観客はケイトが独りだったと語った。けれども、後になって、アナが語る話に変わると、アナは映画『邪魔者は殺せ』をケイトと二人で一緒に観たという。実はここの所で奇妙な事が生じる。つまり、アナが語る話の前で、ディーリーは、ケイトが独りだった、と確かに語ったのである。この矛盾は、先ずケイトがアナと『邪魔者は殺せ』を見て、また、別の日にケイトが独りで見に行ったと解釈すれば、ディーリーが映画『邪魔者は殺せ』を見たとき、ケイトが独りだったというのは矛盾しない。だが、仮にケイトがアナと同一人物で別々の人物でないとするならば、事態は変わって、一人の女性の中に別の女性が存在する居という同一性障碍の問題が生じる。

  もうひとつ問題が残る。それはディーリーもアナも二人がそれぞれ映画『邪魔者は殺せ』を見たとき、ケイトは独りきりだったと語っている。ここで問題なのは、ディーリーもアナも不思議なことに映画館でケイトが独りで居たのを見たと同じ証言をしていることである。しかもこの描写に似た同じような不思議な光景が他にもある。それは、ケイトとアナが部屋に居たとき、見知らぬ男が知らぬ間に居て泣いていたという光景である。この光景はこの劇『昔の日々』の最初の場面と最後の場面で繰り返し出てくる。最後の場面に出てくる男はディーリーであるが、最初の場面に出てくる男は一体誰なのか示されない。さて、映画館の観客に戻ろう。もし映画館にはケイトしか居なかったとすれば、居ないはずのアナがケイトと一緒に居てはいけない。実際にはケイトが独りしか居ないのに、もう一人別にアナが居ると言うのは記憶の修正か、或いは眠って夢を見ていたときに無意識の記憶が忽然と目覚めアナが姿を表す場合などであろう。

アナが語るところによると、彼女は現在シチリアのとても高い場所に住んでいるという。中世演劇の三層の舞台装置の観点から見ると、一番高い場所は天国を現し、この世の俗人が住む場所ではない。この世の俗人が住む場所は二層で地上である。従って、アナがこの世の人ではないという疑惑が次第に生じてくる。

   次いで、ディーリーは奇妙にも自分が映画俳優で監督のオーソン・ウエルズだと唐突に話し始める。無論ディーリーの話は冗談だろう。だが、この場面は現実から虚構世界へ移る瞬間をも表している。これは、心の世界では、ディーリーがオーソン・ウエルズと同一人物になるなら、ケイトもアナと同一人物になる。或いはこの場合、既視体験(デジャブ)が生じる瞬間である。即ち、仮にディーリーがオーソン・ウエルズの前身であるとするなら、ケイトもアナの前身である。つまり、これはちょうど劇の初めの所で泣いていた男が、劇の最後の所で泣いているディーリーと同一人物かもしれないといった極めて気まぐれな既視体験を引起こす作用と繋がっている。

こうして、ディーリーはアナに向って20年前娼婦だったらしいアナに会ったと回想談を話し始める。次いで、ケイトが入浴することになる。客人が居るときにケイトが入浴する行為は不自然である。ともかく、こうして、ディーリーとアナは二人きりになる。

第2幕は、寝室で、ディーリーとアナがコーヒーを飲んでいる。ディーリーは昔アナと旅人亭出会った事があると話す。アナはそんな筈はないと答える。

     Ana : Never.

     Deeley : It’s the truth. I remember clearly.

     Pause

     Ana : You?

     Deeley : I’ve bought you drinks.

     Pause

     Twenty years ago … or so.  (p.46)

前述のディーリーとアナとの会話の間には、「間」が絶えず入るので話が中断し、時間の流れや記憶の間違いが生じる。チェーホフのドラマ『かもめ』にも「間」があるが、ピンターのドラマの「間」とは違う。(5)というのは、チェーホフの場合、医者で科学者としての視点があり、科学的な分析によって、人と人との間には職業や身分などの階級の違いによって会話のくい違いが生じ心理的な「間」が生じる。しかし、ピンターの「間」は、時間の「間」に途方も無い時間が経過したり、或いは「間」のせいで記憶違いや中断が生じたりする。その結果ピンターの場合、独特の「間」が生まれ、遂にはその「間」によって不思議で曖昧な世界が眼前に現れる。

ディーリーの話によると、最初ディーリーがアナに会ったとき、黒いスカーフをし、黒いセーターを着て、黒いストッキングの出で立ちだったと実に克明に語る。だがアナはディーリーの話をことごとく「嘘」だと答える。けれども、アナが「嘘」と答えたのは、本気で答えているのではなく、冗談で答えているかもしれない。いずれにしても、20年前の記憶だから、よほどの事でない限り詳しく憶えている筈はない。

ディーリーは、アナに向って彼女のスカートの奥を凝視していたと言う。しかも、アナはディーリーの凝視を嫌がったりはしなかったという。もしも、ディーリーの話が本当だとすれば、アナは見られている事に気づいていたことになる。だが、アナはディーリーの凝視を「悲しい話」だと答える。

 シェイクスピアは『十二夜』の中で、オーシーノー公爵が、男装しているヴァイオラの身体を女性とは知らず、無意識に眼で舐め回すように凝視する場面がある。この場面はオーシーノー公爵がセザーリオに変装している男装のヴァイオラに無意識に求愛し、予め結婚を予期する場面である。だが、オーシーノー公爵は直ぐに我に返り、君主として冷静になり、家臣セザーリオに男装したヴァイオラに向って命令口調になる。一方、『昔の日々』では、ディーリーは我に返る前に、アナから「悲しい話」と浮ついた心を窘められる。

その間、ケイトが風呂で入浴中である。ケイトは清潔で、しみ一つないように身体を洗い清める。こうしてケイトの身体は宙に浮いた状態になる。しかもケイトはまるで夢の世界にいるような表情を漂わせている。また、ケイトが濡れた身体から水滴を滴らせているが、これはケイトが水の精霊ではないかと思わせる場面でもある。しかも、ケイトの家が海辺の近くにあることも暗示的である。

ディーリーは、アナに向って、20年前20歳だったとすれば、今は40歳位になるけれども、今仮に旅人亭へ行ってもあの頃と変わらないと言う。

ケイトが浴室から出てくる。ディーリーは、『誰も僕から奪えない』の唄を歌い、ケイトの身体の浄化に磨きをかけている。

アナはケイトには友達が他にいないと答える。更に、アナはケイトが内気であるところが今も変わらないという。アナはケイトと初めて会った頃から、彼女は内気だったと語る。更にケイトは牧師の娘でブロンテ姉妹のようなところがあったと言う。

   ディーリーは、ケイトと20年も夫婦生活をしながら、ケイトが牧師の娘であったことを知らないのは不自然である。実際こういうことはたとえドラマが虚構であっても、有りそうも無いことである。或いは、ピンターは、ケイトが牧師の娘であったことを夫のディーリーに知らせなかったのは、ケイトが他人と打ち解けず頑ななところがあることを強調しているからかもしれない。

アナがケイトの下着を借りて、パーテイに出かけ、男がスカートの中を覗いていた話を白状すると、ケイトは赤くなる。

これを聞いたディーリーは、妻のケイトが自分の下着を他の女性が履いた話を聞いて赤くなるのを知って驚く。だが実際は、観客の方は、夫のディーリーが妻の下着とは知らず一晩中娼婦の下着を見つめ、しかも娼婦の下着とばかり信じていたという間抜けさを知って笑う。また、この場面はシェイクスピアの『終わりよければ全てよし』で、夫のバートラムが妻のヘレナとは知らず他の女性ダイアナと浮気をしたと信じてしまったが、実は浮気の相手が妻であったという証拠の指輪を後で示されて驚く場面を想起させる。

夫のディーリーが妻の下着とは知らず娼婦の下着と思い込み、一晩中妻の下着を見つめていたという間抜けぶりを聞き、ケイトは顔を赤らめたというが、実際には、むしろディーリーの方がもっと顔を赤らめた筈だと思って、観客はどっと笑う。

     Deeley : She blushed at that?

     Anna : Deeply

     Deeley : Looking up your skirt in her underwear. Mmnn. (p.61)

   アナは、ケイトが時々下着を貸す話をディーリーに報告して更に観客の笑いをとる。また、ディーリーは、アナがケイトの告白を暗闇の中で聞いていたと知る。ケイトは暗闇の中でアナの告白を聞くが、これは『終わりよければ全てよし』のベッド・トリックを思い起こさせる。

    Anna : … She could hear my voice only. (p.62)

 

   ディーリーがアナからケイトとの関係を聞いて「二人は理想的な夫婦関係だ」という。これは観方を変えると、ディーリーが、ケイトの下着を通して、アナとディーリーとケイトが、一種の三角関係を構成していると見ることが出来る。つまり、アナとケイトとの間でディーリーが間男になっているのに、ディーリーが「理想的な夫婦関係」と言って、観客の笑いを誘う場面である。しかも、アナが、ディーリーに向って「私たち大の仲良しでした」と、答えて、一層観客の笑いを誘う。ディーリーは、ケイトが良妻賢母な女性であるなら、隠微な情熱を露にすることはたしなみに欠けるのではないかと心配する。すると、アナはケイトの肩を持って二人を祝福する。

  『昔の日々』がここで終われば、『十二夜』のように『昔の日々』は結婚喜劇となるかもしれない。しかし、次いでディーリーはケイトやアナとコーヒーを飲む。コーヒーはまるで媚薬のような作用を引き起して、劇はクライマックスへと登りつめてから、一挙に破綻に向う。同時に、劇はリフレインの様相を帯び始める。ディーリーは相変わらずアナと旅人亭で会い下着を凝視する行為を繰り返す。やがて、20年の間にディーリーはケイトやアナの間で変化が起き始める。つまり、友人は皆死んでしまったと言う。

 ディーリーは、アナがケイトに化けていたのではないかと言う。しかし、アナはケイトに化けていたのではなく、ケイトその人だったかも知れないと思う。

   Deeley : … She thought she was you, said little, so little. Maybe she was you. (p.65)

 ディーリーはアナとケイトとの間に挟まって同一性の危機に陥いる。そこで、ディーリーはケイトに向って「何故アナがディーリーを好きになったのか」と尋ねる。すると、ケイトはアナがディーリーを「いたわりたかったからだ」と思うと答える。

   Kate : She wanted to comfort it(=Deeley’s face), in the way only a woman can. (p.66)

 ディーリーは健気にもケイトに向ってアナのスカートを覗くような下品な男でもかと尋ねる。

   Kate : But I was crass, wasn’t I, looking up her skirt?

ところが、アナは突然それがケイトのスカートではなく、アナ自身のスカートだと言う。

  Anna : (Coldly.) Oh, it was my skirt. It was me. I remember your look… very well. (p.67)

しかし、この場面で唐突に、ケイトは、アナは死んだんだから、それはアナの下着では有りえないと答える。

   Kate : (To Anna.) But I remember you. Iremember you dead. (p.67)

 しかも、ケイトはアナが死んで泥になったと言う。まるで、ケイトの主張によると、アナが突如ゴーレムのように土人形に返ったようである。

   Kate : … I leaned over you. Your face was dirty. You lay dead, your face scrawled with dirt. (p.67)

ケイトがアナを屈んで覗き込む動作は、第一幕で見知らぬ男がアナを覗き込む動作を思い出させる。

   Kate : … the grin only split the dirt at the sides of your mouth and stuck. (p.68)

しかも、ケイトはあたかもアナがゴーレムのように土人形に返り、笑うと口の両側の泥にひびが入ったと語る。

   Kate : Your bones were breaking through your face. (p.68)

更に、ケイトの顔は泥になったばかりでなく顔中の骨は砕けてしまうと語る。この光景はシャーマンが行う厳しい修行で身体が裂け、骨がバラバラになる光景を思わせる。次いで、ケイトはアナの葬式を暗示した儀式を話題にする。

   Kate : Last rites I did not feel necessary. (p.68)

ある意味では、ケイトはアナであるかもしれない。だから、ケイトは死体になったアナの不浄を自ら取り除き、身を清める儀式であるかのように入浴する。

   Kate : I had quite a lengthy bath,… (p.68)

 すると、いきなり、ディーリーがアナに結婚を申し込む。

   Kate : He suggested a wedding instead,… (p.69)

 この場合、結婚は何を意味するのか。ディーリーがアナに結婚を申し込むのは、それまでのいろんな関係を清算して、新しい家族を形成することの懺悔なのかもしれない。

   Kate : He asked me once, at about that time, who had slept in that bed before him. I told him no one. No one at all. (p.69)

 続いて、ディーリーが忽然とケイトに向って、「ベッドに誰が寝ていたか」と尋ねる。だがケイトは「誰も寝ていない」と答える。これは、ケイトがアナとの同性愛的な過去を清算しようとしているのかもしれない。ところが、ここで訳もなくディーリーがすすり泣き始める。

   Deeley starts to sob, very quietly. (p.69)

  このすすり泣きは何を意味しているのか。恐らく、ケイトがアナとの決別をして入浴して身を清めたように、ディーリーは泣いて涙で自分の目を清めて新しい世界を見ようとしているかもしれない。つまり、ケイトが入浴したりディーリーが泣いたりするのは、身体だけでなく魂の浄化を表しているのかもしれない。また、ディーリーがすすり泣くのは、20年前に部屋の中ですすり泣いていた謎の男がディーリーではなかっただろうかということが既視体験のように思い当たるのである。

 アナは冒頭場面の時のように、ディーリーとケイトの二人に背を向けて立つ。こうして三人はパントマイムでこの劇のリフレインを始める。

 ピンターの『昔の日々』は、時間が1947年頃の英国と、それから20年前に遡る記憶とが交錯している。こうして、ディーリーとケイト夫婦の家に、ケイトが20年前に知り合いだったアナが会いに来る。アナのキャラクターは、劇の最後には死んで土に返りこの世から居なくなるから幽霊のような存在である。ちょうど、バーナード・ショーのドラマ『傷心の家』で、第一次世界大戦前頃に、ヘクターとハッシャバイ夫婦のところに妹のアリアドネが当時英国の植民地だった東洋の領事館から20年ぶりに帰国する境遇が似ている。このアリアドネは20年も英国に不在だったのだから、殆ど幽霊のような存在であり、またギリシァ神話でオデッセイを帰り待ち続ける妻の名前、アリアドネとも関連している。しかも、アリアドネは姉ハッシャバイ夫人の夫ヘクターに会うと忽ち恋をする。こうしてみると、ピンターが書いたアナのキャラクターを考える場合、このアナとショーのアリアドネはドラマ構成から比較すると好対象になっている。また、ピンターが構築したディーリーとケイトとアナの三角関係は、ショーが構築したヘクターとハッシャバイ夫人とアリアドネの三角関係とも似ている。

  ピンターの『昔の日々』の狭い部屋の舞台装置が子宮を象徴しており、しかもケイトは夢見がちである。いっぽう『傷心の家』の舞台も大海に閉じ込められた箱舟のような船室を象徴していて、しかもその船が空から山間部に舞い降りたようで非現実的で夢の舞台装置を思わせる。つまりピンターの『昔の日々』もショーの『傷心の家』も共通しているのは夢幻劇であることだ。

  ピンターの劇『昔の日々』の後半になると、夢見がちなケイトは突然ディーリーとアナを支配し、ディーリーとアナを拘束しその呪縛から逃れなくする。他方『傷心の家』の舞台自体は魔法の箱で出来ていて、魔法の箱に入ったものは誰も夢の呪縛から逃れることが出来ない。しかも魔女のようなアリアドネとハッシャバイ夫人姉妹は、「魔女が彼女らを産んだ」と冗談めかして他の人を皆呪縛する。

アナとケイトは一人の女性を二人に分割したようにも考えられる。いわばジキルとハイドのように、同一人物に二人の性格が入り込み同居している。ちょうど、これは、アナとケイトの間に鏡を置いて、アナが主体に成るときには、ケイトは鏡の中に写っている実体のない虚像となり、逆にケイトが主体と成るときには、アナは鏡の中の実体のない虚像になってしまう。そこで、ディーリーはアナとケイトを相手にするとき、ハムレットが亡霊の父と話すときと、実物の母ガートルードと話すときのような関係になる。ディーリーがアナと話しているとき、ケイトはその場に居ない存在となり、ディーリーがケイトと話すときアナは死んで土人形に返る。

  アナとケイトの関係は、ギリシャ神話のデメテルとペルセフォネ母子の関係のようである。アナは冥界に去っても、豊饒の神デメテルが母によく似た娘ペルセフォネを再生する。そのように、死んだ筈のアナが舞台に再び登場することを予期させる。というのは、デメテルは豊饒の女神であり子宮を象徴しているから、娘ペルセフォネが冥界に連れ去られても、地界から再び新しくペルセフォネと瓜二つの娘を再生する能力があることを暗示しているからである。ケイトが入浴するのは美の女神アフロディテの再生を想い出させる。

  『昔の日々』はドラマの中に映画(フィクション)と現実生活(リアル)が交錯するように使われている。ディーリーとケイトとアナは映画『邪魔者は殺せ』を見て、「ディーリーとケイトの恋愛関係を映画に出てくる俳優ロバート・ニュートンが見たらどう思うか」と言う。先に紹介したショーの『傷心の家』に出てくるマンガン親方は、実体のない映像光線である。この実体のない光媒体のようなマンガンが舞台に出てきて、“生”の娘エリーと婚約しようとするが、それを破棄しようとするのは、ハッシャバイ夫人である。ハッシャバイ夫人は本当の恋をエリーに進める。やがて、エリーの相手はハッシャバイ夫人の夫ヘクターである事が分る。ハッシャバイ夫人はエリーの行動を見て、20年前の夫ヘクターとの恋愛を思い出す。ショーは時間を遡らせず、ハッシャバイ夫人の20年前の姿をエリーというキャラクターとして創った。だが、ピンターは、20年前の記憶に遡って、ディーリーとケイトの若き日の関係を、20年前のアナを登場させて、ディーリーとアナとの青春時代を再現している。

アナは、ケイトが「小説作家のブロンテのようだ」という。いっぽう、『傷心の家』の娘エリーはシェイクスピアを絵に描いたような父親譲りの芸術家肌の娘で、『オセロ』を愛読し夢想して、オセロ役者のようなハッシャバイ夫人の夫ヘクターに恋をする。

『昔の日々』では、ディーリーは、ケイトとの出会いが映画『邪魔者は殺せ』だったことに拘る。しかも、ディーリーは“生”のケイトとの関係を不思議な事に映像光線のロバート・ニュートンの映像と絡めようとする。

  問題なのは、20年前にアナのルームメイトだったケイトが当時と同じであるためには、いみじくもケイト自身が告白しているように、ケイトの若い日は映画のスクリーンに映った虚像のようにケイトは何も語らず死んでいるようであらねばならないという。ちょうど、昔の思い出の日々の中で死んだケイトは、映画の中の俳優ロバート・ニュートンが映像光線として不死であるのと同じような関係になっている。しかも、時間軸を上下して計算すると20年後の40歳位のアナは、20年前のアナとは当然違うから、アナが話す20年前のケイトはちょうど映像のロバート・ニュートンのように現実に存在しない20歳であった頃のケイトの虚像となる。

ピンターが描いたディーリーとケイトとアナの会話では記憶の間違いが生じる。同じように、ショーの『傷心の家』の舞台でも、ショトーヴァー船長が80歳の老人であるせいか、記憶の間違いや誤解が絶えず起こる。しかもこの記憶の間違いは、わざと間違えているのかどうか分らない。というのはコリン・ウイルソンが『オカルト』で指摘しているように、記憶は夢のように眠っているが突如として覚醒する場合があるからである。ところで、ピンターが描くケイトの場合、劇の前半で、白日夢に耽って、殆ど眠っているようであるが、劇の後半になると、役割交換したかのように、眠っていたケイトが突如目覚め饒舌になる。他方、アナは逆に突然死に絶え土に還り話す事が出来なくなる。結局、アナは20年前の記憶の中でしか存在せず、幽霊であるかのようである。

  ケイトとアナの関係はギリシャ神話の母デメテルと娘ペルセフォネの関係に求めることが出来る。デメテルは娘ペルセフォネの突然の死を最初のうち知らない。だがデメテルは豊饒の女神であり娘ペルセフォネと瓜二つで、しかもデメテルは子宮を象徴しているから、ペルセフォネと瓜二つの娘を再び生む不思議な能力を備えていて、ペルセフォネとそっくりな娘を生む。ケイトがアナと似ていて、ケイトと似たアナが死んでも入浴して再び生まれ変わるのである。

  ピンターの芝居『昔の日々』の舞台は狭い部屋の出来事を表している。劇評家ウオーデルはピンターの殆どの芝居が子宮を表していると批評している。その意味で、ケイトとアナの関係は、デメテルと娘ペルセフォネ親子と関連付けて考えていくと、この子宮に似た部屋で死と再生のドラマを表しているとも考えられる。

ケイトとアナの関係はデメテルとペルセフォネのような母子関係、もしくは、合わせ鏡を相照らし合わせた同一人物と考えることも可能になる。更に、この二人の女性は、池の水に映ったナルシスのように瓜二つでレズヴィアンの関係を思わせる。殊に、アナがケイトの下着を盗み、アナがケイトの下着を履いているのを、他の男に見られた話を、後でケイトがアナから聞いて、顔を赤らめる場面があるが、そこが、ある種のレズヴィアン関係を想起させる。つまり、父を牧師に持つブロンテのような教養ある女性が恥部を象徴する下着を見知らぬ男の目に曝し、しかも、ケイトは娼婦のようなアナに何度も自分の下着を貸し与えて、その後でアナがその下着を見て男がどのように反応したかをケイトに話させて、こうしてケイトは話を聞いて顔を赤らめる。この行為はある意味で、ケイトの父牧師に対する冒涜行為のように思われる。それゆえ、ケイトの隠微な自虐行為は、背徳的なレズヴィアンの匂いがする。

  結局、賢明そうで淫靡なケイトは日常的なディーリーと結婚し、背徳的なアナとの関係を絶つ。一方、ディーリーは、ケイトとアナの関係を見て、二人の女性が夫婦関係のようだと語っている。これは、アナとケイトがかつてルームメイトでカップルであり、また二人の女性のパートナーシップを夫婦関係と言い換えた表現を示しているのである。

ケイトとアナの関係を母と娘の関係や、同一人物のダブルイメージから見ていくと、ケイトとアナにはナルシスムのような自己愛があり、自分を愛する自分とは何者かという自己同一性の危機を表している。

幕切れで、ケイトは、ディーリーにアナは最初から居なかったと言う。すると、アナはケイトの白日夢に現れた幻影とか、鏡の中に映った虚像としての自己とか、映像光線のように実体のない光媒体のようなものに変わってしまう。

『昔の日々』の結末で、ケイトはアナを土に返らせ、しかもディーリーをも土に返らせようとする。もしも芝居を皆ケイトの見た白日夢であるとすれば、結局皆幻になってしまう。

  ケイトの残酷な破壊行為は、映画『邪魔者は殺せ』の映像との関係を想起させる。最初ケイトは、ディーリーとアナの会話の中で無視され、そばに居ても死んだ人のように扱われる。これは、ケイトが映画の映像のように実体がない虚像と思われる場面である。ところが、後半になると、逆転が起こり、ケイトはアナを殺害し土に返らせ、ディーリーも殺害し土に返らせようとする。この逆転はピンターの芝居では繰り返し出て来る。だが、いっぽうで、ギリシァ神話によくあるように、これは死と再生を表していると考えることが出来る。ナルシスは死んでアネモネの花として蘇り、また花が萎んで死んでも、アネモネは春になると再び土から蘇る。従ってアナとケイトの関係をギリシァ神話のデメテル母子とパラレルに見ると、アナの死は再生を含んでいる。そうだとすれば、『昔の日々』の最後の場面で、死んだ筈のアナが舞台の寝椅子の上に身を横たえていてもおかしくない。

 演劇創造“αの会”が上演した『昔の日々』を観劇後、アナ役の内藤美佐子に会った。以前から知っていた女優であるが、上演中アナ役に集中していたせいか、劇の終了後、アナから内藤に戻るまでに暫らく時間がかかり、本人だと気づくまでに間があった。筆者が「観劇中、アナ役は内藤さんだろうと思ったのですが、今こうして、知っている内藤さんとお話しするまでに、時間がかかりました」と言うと、内藤は「私はアナのような娼婦ではありませんよ」と答えた。アナと内藤との間で生じた交錯が『昔の日々』を解読するうえで重要な手掛かりを与えた。役者がキャラクターに集中することはごく当たり前のことである。だが、それだけでは『昔の日々』を解読するのに足りない。役に集中することであれば、ケイト役の東方るいもディーリー役のさがらまこともキャラクターに専心していたからである。だが、内藤の場合、まさに、アナの霊が内藤の身体に憑依しトランス状態になっていた。或いは、内藤の心に、アナの霊が取り憑いたといってもよかった。

アナはケイトの20年前のルームメイトであり、失われた昔の存在であり、言うなれば幽霊のような存在である。バーナード・ショーの『傷心の家』では、故郷の英国へ20年ぶりに英国の植民地から帰ってきた娘のアリアドネを家族の誰も覚えていない。実の姉のハッシャバイ夫人さえも妹を人違いする。だが、二つの作品が異なるのは、ピンターの『昔の日々』では、20年ぶりにシチリアから訪問したアナは、元ルームメイトのケイトもアナを知らぬ筈のディーリーがまるで昨日別れて会ったばかりの友人のように憶えている。

この違いは、『昔の日々』が、現在と過去が自在に往き来できるトランスパフォーマンス(憑依)を表しているからである。2千年以上前のギリシャ悲劇に出てくるオイディプス王や、4百年前のエリザベス朝劇に出てくるハムレットが、現代の役者に憑依するように、アナは過去と現在を行き来する。『昔の日々』の場合、20年前のアナを直接知るアナのルームメイトのケイトが、20年前のロンドンにタイムスリップする。ケイトが、ケルトの詩人イエィツの薄明のように、半睡状態でいるのは、彼女が生霊のような媒体であるからだ。だが、ケイトが20年という記憶の底で眠っていた夢から突然覚醒すると、逆に20年前のアナの方はゴーレムのようになぎ倒され土塊と変わり果てる。またディーリーも危うく道連れになって土塊となるところであった。ところがディーリーは、ケイトとの結婚の約束をし、辛うじてケイトが自分の夫であると認めたおかげで死から免れることが出来る。

 『昔の日々』の終幕は、サイモン・マクバーニー演出の『春琴』の幕切れのように、最後の場面で、朝が来て眩しい光を受ける。すると忽ち、舞台から夜の闇の世界が消え失せる。次いでそれまで在った舞台の出来事は跡形もなく消え失せてしまう。確かに役者たちはステージに残るが、それはちょうど、内藤がアナ役から内藤自身に戻り、アナの霊が内藤から消え、女優の内藤本人がステージに残るような印象を受けた。

 ケイトはアナという悪霊を追い払い、夫ディーリーを現実の世界に呼び戻す。この最後の場面は、ヘンリー・ジェームスが書いた小説『ねじの回転』の最後のように、子供は悪霊から開放され女家庭教師と共に残る場面と似ている。或いは、逆にブロンテの『嵐が丘』の結末で、ヒースクリフが謎の死を遂げてキャサリンの霊のところへ帰っていく場面を思い出す。『昔の日々』では、アナは、ケイトがブロンテのように牧師の娘で無口であるが情熱的であると述べている。これは、アナがケイトの性格をブロンテと比較した理由のひとつとして『昔の日々』と『嵐が丘』の霊的結びつきが固いことを暗示しているからである。

 アナが死にケイトが再生する場面は、フレーザーが指摘したデメテルの身代わりの豚と関連がある。そもそもケイトは最初からいつも不浄なものから浄化されたいと願い、アナが来訪したときさえも入浴する。またケイトの下着はアナの過去の不浄を象徴しているようだが、魔術師がデメテルと豚を結びつける紐のように、まるで下着に魔術が働いて、ケイトとアナを結び付けているようである。ところが、アナが死ぬことによって、ケイトが蘇るのは不浄なものが消え、浄化されたことを表している。この不浄のものを浄化するテーマはヘンリー・ジェームスの『ねじの回転』やブロンテの『嵐が丘』にある魂の救済を思い出させる。また、ディーリーとアナとケイトはお互いに三人の登場人物のうち一人を絶えず排除しようとする「演劇の三角形」のゲームを連想させる。

 フレーザーが『金枝篇』で書いているデメテル母子の関係のように、ゼウスはデメテルはと交わって女の子を出産させるが、ゼウスは女の子が他の男のものになることを恐れ、娘を冥界に連れ去る。しかし、デメテルは子宮を象徴し豊饒の女神であるから、自分に似た娘を再生する。デメテル母子は鏡でお互いに映し合ったようによく似ている。デメテルが娘を溺愛するところはナルシスのように自己愛に囚われているからであり、同じ性を求めるところはレズヴィアンを連想させる。このデメテル母子は、ケイトとアナのレズヴィアン関係を考えるうえで暗示的である。また、フレーザーが『金枝篇』でデメテル母子を魔法と関係付けているのも示唆的である。アナは圧倒的に劇の前半を支配するのであるが、劇の後半でケイトがこのアナを打ち倒しケイトは劇の支配者であったアナに取って代って新しく劇の支配者になる。これは『金枝篇』の神話を思い出させてくれる。黄金の木が茂る木の枝を奪ったものだけが、その国の王を倒し代わって新しい王様になるという伝説である。

 『昔の日々』は劇の三角形のゲームのようであるが、更に豊饒の女神で美の女神アフロディテのようなデメテルが、美の女神を生みだす子宮であると考えると、『昔の日々』の部屋は美の女神を産出す子宮であり、ナルシスが死んでも水仙の花となって再生する錬金術のように、ケイトはアナのような怪しくも艶美な花を死の床から再び蘇らせる。だが、『昔の日々』の上演が終わると舞台の幻も消えてしまう。ケイトの夢にしても半睡の記憶の中で不浄なものから絶えず浄化しようと空しく蘇り続けるだけだ。

シャーマンの修行のように、エジプトの神話にはセトがオシリスの身体をバラバラに引き裂いてばら撒いた後、イシスがオシリスの身体を拾い集め再生させる話がある。このセトとオシリスとイシスの神話はディーリーとアナとケイトの三角関係から生じた死と再生を思い出させる。

 ケイトは何故ルームメイトだったアナを死の床に葬り土に返らせたのか。その解釈は、単に劇の三角形のゲーム遊びだけではなく、フレーザーが『金枝篇』で説いているデメテルとペルセフォネの母子による死と再生の魔術とも繋がっているからである。

以上、『昔の日々』を見てきたが、本島はCBC放送ではテレビ演出をしなかったけれども、劇場演出では、アナ役の内藤を指導し、劇の細部にわたってピンターの魅力を限りなく引き出して見事に上演した。(6)

4-1 伊藤敬演出のソートン・ワイルダー作『わが町』

  伊藤が演出したソートン・ワイルダーの『わが町』は、あの世からこの世を見つめる芝居で、映画『ゴースト・オブ・ニューヨーク』や天野天街の実験映画『トワイライツ』や寺山修司の映画『田園に死す』と似ている。伊藤は過去から現代を眺める視座があり、ギリシア悲劇の上演でも、過去から、近代の世界大戦の惨禍を見つめる視点がある。堀真理子が批評するベケットの『ゴドーを待ちながら』論では、ホロコーストのガス室で死を“待つ”という視点で解釈する観方がある。伊藤の一連の上演劇のコンセプトもここに見ることが出来る。

4-2 伊藤敬演出の『ゴッホのためのレクイエム』

  名古屋で、2011年2月『ゴッホ展』が開催されるのに合わせて、同年7月『ゴッホのためのレクイエム』公演が名古屋新栄の芸創センターであった。ゴッホは、ダンテの『神曲』にあるように、この世で地獄巡りをするというイメージがあった。しかも地獄とは心の闇である。しかし、心から地獄が消えた後には何も残らない。

 『ゴッホのレクイエム』の上演を機会に筆者は舞台に飾るゴッホの絵を模写する仕事があり、具にゴッホの絵を観察する事が出来た。先ず『馬鈴薯を食べる人達』を模写しているときに、ゴッホが何枚も『馬鈴薯を食べる人達』をスケッチしたり自分の絵を鏡で反射する構図で模写したりして幾枚も描いている事が分かった。殊に『馬鈴薯を食べる人達』はフェルメールが絵を描くときに使ったカメラオブスキューラ(暗箱)で作画した画法と類似している。ゴッホが画商グーヴィル商会のロンドン支店勤務していた時に、ナショナルギャラリーでフェルメールの絵を見ていた。しかし、ゴッホの独自性は、フェルメールのエレガントな女性の手ではなくて農夫のごつごつした手の表現で描いている。また、ゴッホが娼婦シーンをスケッチした『悲しみ』は、カラバッチョが娼婦マッダレーナ・アトニエッティをモデルに作画した聖母マリアを思わせた。また、ゴッホは妊娠した娼婦シーンを描いているが、この石版画は女性の最大の喜びは子供を産むことであり、その喜びとひきかえに悲惨な生活が待ち受けている場面を暗示している。

ゴッホが描いた『ひまわり』は『馬鈴薯を食べる人達』と異なり闇の世界から黄金の世界へ変貌を遂げた色彩の変化を表している。ゴッホの黄色は腐食しない黄金を象徴し永遠の命を表す色として神の顕現を表している。と同時に、ゴッホが敬愛するフェルメールの黄色に感化されていた。

『種を蒔く人』や『ガシェ博士の肖像』は人と背景の景色が絵筆の無数の点描写で溶け合っている。特に、『ガシェ博士の肖像』は、顔も服も背景も山脈も点描の効果で、ダ―クエネルギーのように未知なるものの顕現を呈している。この絵は、ゴッホが地上の人間では感知できない気配を表した。

  ゴッホの絵を模写した後でゴッホの書簡集を読みながら、ミッシェル・フーコーの『狂気の歴史』の例証とは異なった実例に遭遇する事になった。それはアントナン・アルト―の『ゴッホ論』やジョルジュ・バタイユの『ゴッホ論』を解読する事によって、ゴッホが精神分裂症患者ではなくてまさに生の芸術家と漸く出会ったと感じた。

  ゴッホが描く絵は、『E.T.』のアニメの宇宙人ETとは違い、ちょうど『イン・アメリカ』のマテオのようにエイリアンであり、透明人間となって月を横切っていくように、眼に見えないが、宇宙を膨張しているダ―クエネルギーのような気配として描いており、『ガシェ博士の肖像』の絵の中で通り過ぎていくイメージと重なった。従って、まるで、ゴッホの絵は鏡の中の虚像のように実体がない、空の存在と化しているように思えた。

  アンデイ・ウオーホルは「私の絵の背後には何もない」と語ったが、ゴッホの『ガシェ博士の肖像』は絵の中にすら、ガシェの顔も身体も服も景色も山脈も全く存在しない。ちょうど、寺山の『青ひげ公の城』のように、青ひげ公は、舞台のどこかに姿を隠しているのだが、舞台の上では全く不在なのである。ただ気配を感じるだけである。また、ゴッホの絵は、ジョン・ケージの『4分33秒』のように、無音の中に気配だけを感じ取る芸術と似ている。青ひげ公の不在のように、ゴッホの肖像画は、生のゴッホの姿を抹消し、ダ―クエネルギ―のように、不気味な色の点描だけが画面の小宇宙に漂っている。

  寺山が撮った映画『田園に死す』のスクリーンの空洞に、ゴッホの『ひまわり』の絵をその空間に漂わせ、マウリッツ・エッシャーの『表皮片』で解読すると、一つのイメージが浮かび上がってくる。そのイメージは、ちょうど寺山の詩集『空には本』の詩が引き起こす一種のだまし絵であったり、ジグソー・パズルであったりする。例えば、寺山は座談会でゴッホのひまわりを以下のように解読している。

 

   一つの畑とか、一本のヒマワリを描くとき、その距離を持続しなければ世界が完成しないということの恐ろしさというのはあるわけじゃない?

  (7)(p.46)

 

  寺山が言う“距離”とは一つのイメージが網膜に結ぶ焦点のことである。このイメージを作るためにもう一度距離を計測してみる。先ず『田園に死す』のスクリーンの空洞にゴッホの『ひまわり』の絵をその空間に漂わせエッシャーの『表皮片』で解読して見る。すると画面に「器官無き身体」が忽然として現われ一つのイメージが浮かび上がる。こうして見るとゴッホの肖像画の場合でも同様に生のゴッホの姿が忽然と消えてしまい、画布の上にはダ―ク・エネルギ―のように不気味な絵具の点描が小宇宙となって漂っている。

ゴッホが仕掛けた一種の問いはその謎が解かれるのに100年かかるという事であり、事実フランシス・ベーコンも同じ事を予測した。

 

What’s more you have to wait a long time to know whether an artist will be recognize or not sometimes fifty or a hundred after the artist’s death.(8)(p.30)

 

  上記のベーコンの予測は、少し観点が違うとはいえ、難問中の難問ポアンカレ―予想<宇宙は丸い>が解かれるのに100年かかった事を思い出す。

伊藤演出のゴッホは、三好十郎原作『炎の人-ヴァン・ゴッホの生涯-』を劇団民芸が1951年に上演した時に出演した滝沢修、宇野重吉、細川ちかこに対するオマージュである。伊藤は細川ちかこを通じて劇団民芸の演出を依頼されたことがある。その演出プランを何年もかけて練った。『炎の人』は滝沢、宇野、細川亡きあと再演があった。(9)その上演史から、伊藤の『ゴッホのためのレクイエム』の構想を読み取ることが出来る。伊藤演出の劇団民芸による『炎の人』を観たかったが、『ゴッホの為のレクイエム』にその片鱗を見ることが出来る。伊藤は、民芸の名古屋公演で、宇野重吉や細川ちかこと会い、民芸の名古屋公演に先立つ稽古に参加した。また、細川の誘いで東京へ行き、早稲田小劇場の鈴木忠司演出の『劇的なるものを巡って』(1970)を見て、名古屋に帰り、再演したと若き日の思い出を語った。東海テレビの仕事と民芸の劇場の演出の途との狭間に立たされた経験をもった。もし、伊藤が劇団民芸の芝居を演出し、滝沢修、宇野重吉、細川ちかこと公演活動をしたら、日本の演劇ばかりでなく、名古屋の演劇は相当変わった状況となっただろう。現在、天野天街、鹿目由紀、佃典彦、はせひろいちらが、伊藤の辿った道を新しく切り拓いている。殊に、天野は、東京の結城座の演出を経て、名古屋よりも東京で名声を高め、新国立劇場で『1001』(2019)公演で人気を博している。(10)

5 まとめ

1970年代に、福田恆存は、「劇場の演劇は、テレビドラマとは違う。お茶の間で、相も変らぬ日常茶飯事を劇場で繰り返されてはかなわぬ」と語った。伊与田、本島、伊藤は口をそろえて、「劇場は、テレビドラマとは違う。口で“もぐもぐ”言っても、テレビドラマでは、マイクが拾ってくれる。発声が大切で、活舌がしっかりできるように日頃から訓練するように」と役者に言う。伊与田は東京のNHKでテレビドラマの演出家であり、本島は東京の劇団『円』と交流を持ち、伊藤も東京へ新しい芝居を求めて上京した。三人の演出家が、テレビ、ラジオと劇場の違いを力説している。殊に、本島は、福田康存主催の劇団『円』と提携して、自分の演出したドラマを、劇団『円』の関係者に観に来てもらった。伊藤も、自分の演出したギリシア悲劇を、ギリシア劇研究家に観てもらった。福田は1965年、シェイクスピア劇『ロミオとジュリエット』上演の際にはマイケル・ベントールに演出を任せ、三島由紀夫もベントールの稽古に立ち会っている。名古屋の劇団「うりんこ劇場」は、2003年、『ムーン・プレイ』(Moon Play)の上演でオーストラリアの演出家、ピーター・ウイルソンの演出で行った

 ロンドンのリージョナルシアターは古くからの伝統があり幅広い観客層を持っている。更に、チャールズ・チャップリンを育てたミルクホールでのイングリッシュ・パントマイムの伝統からも学ぶべき点は多々ある。

  現在第一線で活躍している、天野天街、鹿目由紀、佃典彦、はせひろいちらが、伊与田、本島、伊藤らが演出した演劇活動の歴史から学ぶものがある。近い将来、若い世代の演劇が台頭してくるとき、今を時めく演出家たちも、過去の演劇人として退けられてしまう日がくる。今、注目されている演劇を含む文化が、忽ちトラッシュカルチャーとして片づけられる。そのとき、滅び去ったと思われた演劇が復活する。何が消え去り、何がレガシーとして残るか、それを見極める必要性がある。ルビン教授が語ったことであるが、儒教の教えを受けた東洋人は西洋人に比べ声が小さいと言われる。儒教では大きな声で話すのは下品であると戒めを受けた歴史がある。

ジュリアス・シーザーが紀元前の時代に、拡声器が無くても何万人もの兵隊を前にして地声で演説し、軍隊は一つになった。シェイクスピアの西洋でさえも近代には失われた弱強五歩格のソネット形式で呼吸のできる日本人の俳優は殆どいない。今見渡してもそれが出来る演出家はほんの一握りである。伊与田、本島、伊藤演出によるシェィクスピア、ワイルダー、ピンターの移入史を、個々ばらばらでなくひとつの演劇史として纏め、更にうりんこ劇場が行っている海外演劇と地域演劇との連携を強調して、観客一般に広めていく必要性を本稿に纏めた。

1) 小田島雄志『物語マクベス』(シェイクスピア ジュニア文学館9,汐文社)

2) シェイクスピア,ウィリアム『マクベス』小田島雄志訳(白水社,2001)156頁。

3)〈1〉伊与田静弘の経歴 豊橋市出身。NHKでテレビドラマを演出する傍ら、演劇、ミュージカル、オペラ、馬齢などの舞台演出を手掛ける。平成12年、知立市文化会館の開館以来、館長・芸術監督に就任。主な作品に、NHK大河ドラマ『国盗り物語』『草燃える』『いのち』など。単発ドラマ『ながらえば』『日本の桜』『いちばん奇麗なとき』など多数。モンテカルロ国際テレビ祭最優秀演出賞、文化芸術祭賞、芸術作品賞、放送文化基金大賞、国際エミ―省最終審査作品などを受賞。

  〈2〉伊与田静弘テレビドラマ演出一覧

1. 国盗り物語

NHK G…放送曜日・時間日 20:00-20:45

放送期間1973/01/07 ~ 1973/12/23

【演出】 46)、伊予田静弘 (6)(9)(12)(15)(21)(24)(27)(33)(36)(39)(45)、重光亨彦(13)(25)(48)、山本誠…

国盗り物語 総集編

NHK放送曜日・時間日~月

放送期間1973/12/30 ~ 1973/12/31

【演出】 (1)、伊予田静弘 (1)、山本誠(1)、重光亨彦(1)、(殺陣:林邦史朗)(時代考証:相馬皓)

3 勝海舟

NHK G…放送曜日・時間日 20:00-20:45

放送期間1974/01/06 ~ 1974/12/29

【演出】 45)、伊予田静弘 (4)(9)(14)(18)(25)(31)(35)(44)、山中朝雄(5)(10)(15)(21)(26)(32)(36)(…

4 霧の視界

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1975/04/07 ~ 1975/05/02

【演出】 伊豫田静弘

5 女の顔

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1976/04/19 ~ 1976/04/30

【演出】 伊豫田静弘

6 結婚しません

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1976/09/06 ~ 1976/10/01

【演出】 伊豫田静弘

7 藁の女キー局

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1977/04/04 ~ 1977/04/29

【演出】 佐藤隆、伊豫田静弘

8 藁の女 総集編

NHK放送曜日・時間木 22:15-23:00 放送期間1978/01/12 ~ 1978/03/02

【演出】 佐藤隆、伊豫田静弘

上野駅周辺

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1978/08/14 ~ 1978/08/25

【演出】 伊豫田静弘

10 草燃える

NHK放送曜日・時間日 20:00-20:45 放送期間1979/01/07 ~ 1979/12/23

【演出】26)、伊与田静弘、東海林通、渡辺紘史、松橋隆、安斎宗紘、(監修:鈴木敬三)(風俗考証:磯目篤郎)(殺陣:林邦史朗)(…

11 祈願満願

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1981/12/07 ~ 1981/12/25

【演出】 伊豫田静弘

12 ながらえば

NHK放送曜日・時間水 20:30-21:35 放送期間1982/11/03 ~ 1982/11/03

【演出】 伊豫田静弘

13 旅びと

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1983/02/28 ~ 1983/03/25

【演出】 伊豫田静弘

14 山河燃ゆ

NHK放送曜日・時間日 20:00-20:45

放送期間1984/01/08 ~ 1984/12/23

【演出】(48)(51)、伊豫田静弘(2)(5)(8)(11)(14)(19)(22)(25)(28)(37)(40)(45)(50)、佐藤幹夫(3)(6)(9)(…

15 いのち

NHK放送曜日・時間日 20:00-20:45 放期間1986/01/05 ~ 1986/12/14

【演出】 伊豫田静弘(86/07/13)(86/10/26)、阿部康彦、富沢正幸(86/10/05)、布施実(86/10/12)、金沢宏次(金澤宏次)(86/…

16 いのち 総集編

NHK放送曜日・時間土~日 放送期間1986/12/27 ~ 1986/12/28

【演出】 伊豫田静弘、阿部康彦、富沢正幸、布施実、金沢宏次

17 男の子育て日記

NHK放送曜日・時間月~金 21:40-22:00 放送期間1987/06/08 ~ 1987/07/03

【演出】 伊豫田静弘

18 ハテナと困るパパとママ

NHK放送曜日・時間月~木 18:00-18:30 放送期間1987/08/17 ~ 1987/08/20

【演出】 伊豫田静弘

19 ノンちゃんの夢

NHK放送曜日・時間月~土 08:15-08:30 放送期間1988/04/04 ~ 1988/10/01

【演出】 伊豫田静弘、兼歳正英、榎戸崇泰、湯座明彦、小松隆一

20 家族の値段 前編 後編

NHK放送曜日・時間土 20:00-21:00 放送期間1990/01/20 ~ 1990/01/27

【演出】 伊豫田静弘

21 君の名は

NHK放送曜日・時間月~土 08:15-08:30 放送期間1991/04/01 ~ 1992/04/04

【演出】 83)-(288)、伊豫田静弘(151)-(156)(169)-(174)、一井久司(175)-(180)(187)-(192)、吉川幸司(181)-(18…

22 二本の桜

NHK放送曜日・時間金 22:00-23:30 放送期間1991/08/09 ~ 1991/08/16

【演出】 伊豫田静弘

23 幻・源氏物語絵巻

NHK B…放送曜日・時間土 21:15-21:55 放送期間1993/03/20 ~ 1993/03/20

【演出】 伊豫田静弘

2 4三十三年目の台風

NHK放送曜日・時間土 21:30-23:00 放送期間1993/09/04 ~ 1993/09/04

【演出】 伊豫田静弘

2 5なんだか人が恋しくて

NHK放送曜日・時間土 21:00-22:29 放送期間1994/03/19 ~ 1994/03/19

【演出】 伊豫田静弘、(記録:谷田稚佳子(編集))

26 ゼロの焦点

NHK B…放送曜日・時間水~土 20:00-20:45 放送期間1994/06/01 ~ 1994/06/04

【演出】 伊豫田静弘(1)(2)、銭谷雅義

27 ゼロの焦点

NHK放送曜日・時間土 21:00-22:15 放送期間1995/02/18 ~ 1995/02/25

【演出】 伊豫田静弘、銭谷雅義(2)

28 宝引の辰捕者帳

NHK放送曜日・時間金 20:00-20:50

放送期間1995/03/31 ~ 1995/08/18

【演出】 伊豫田静弘(1)(2)(11)(12)(21)、佐藤峰世(3)(4)(7)(10)(15)(20)、片岡敬司(5)(6)(9)(14)(18)、吉田雅夫(…

29鳥帰る

NHK放送曜日・時間土 21:00-22:30 放送期間1996/05/04 ~ 1996/05/04

【演出】 伊豫田静弘、(記録:横山洋子(編集))

30いちばん綺麗なとき

NHK放送曜日・時間 土 21:00-22:15 放送期間1999/01/23 ~ 1999/01/23

【演出】 伊豫田静弘

www.tvdrama-db.com/name/p/key-伊豫田静弘.2018.12.12

4)Pinter, Harold, Complete Works: Four (Grove Press, 1981), pp. 27-8. 以下同書からの引用は頁数のみを記す。

5)Cf. Lahr, John, Pinter and Chekhov: The Bond of Naturalism, Pinter A Collection of Critical Essays (Prentice-Hall, Inc., 1972), p.63.

6)〈1〉本島勲の経歴

元清和大学教授。元椙山女学園大学、元愛知淑徳大学講師。【演劇創造〝αの会〟主宰、演出家】名古屋大学(旧制)文学部仏文学科卒業。コロンビア大学(ニューヨーク)留学。中部日本放送(CBC)でラジオ、テレビドラマの演出、プロデュースに従事。1963年劇団〝悪魔の会〟を創立。その後、85年から演劇創造〝αの会〟を主宰し、H・ピンターなど欧米のさまざまな作品を演出。プロデューサーシステムによる公演活動を続ける。J・ソーンダース、H・ピンター、S・シェパード、D・マメットなどの戯曲を翻訳。共訳書にD・シーウェイ『サム・シェパード 愛と伝説の半生』(新水社)『〈演劇への手びき〉コトバ・ことば・言葉: 演劇への手びき』(桐原書店)。

〈2〉αの会の創立者・本島勲

1985年2月

演劇創造αの会結成

6月

フール・フォア・ラブ サム・シェパード作

名古屋市民会館中ホール

11月

ヴィクトリア駅 言わばアラスカ ハロルド・ピンター作

芸音劇場

1986年6月

昔の日々 ハロルド・ピンター作

芸音劇場

11月

夜遊び ハロルド・ピンター作

芸音劇場

1987年6月

テラ・ノヴァ テッド・タリー作

名古屋市民会館中ホール

1988年5月

おやすみ、母さん マーシャ・ノーマン作

名演小劇場

1989年3月

飢えた階級の呪い サム・シェパード作

名演小劇場

1989年11月

楡の木陰の欲望 ユージン・オニール作

名古屋市民会館中ホール

1992年2月

エドモンド デイヴィッド・マメット作

名演小劇場

1993年1月

かすかな痛み ハロルド・ピンター作

愛知県芸文センター小ホール

1994年1月

隣り同士 ジェイムス・ソーンダーズ作

愛知県芸文センター小ホール

1997年7月

夏の夜の夢 ウイリアム・シェイクスピア作

瑞浪市・相生座

1988年7月

恋人 ハロルド・ピンター作

愛知県芸文センター小ホール

1998年10月

高瀬舟・森鴎外作 船の挨拶・三島由紀夫作

聴松地下ホール

2014年10月12日~14日

演劇創造αの会。プロデュース公演黒河内彩出演。『バーサよりよろしく』&『話してくれ、雨のように』作:テネシー・ウィリアムズ、訳:鳴海四郎演出:本島勲【出演】『バーサよりよろしく』バーサ:加藤真夕、ゴ―ルディ:長谷川千種、リ―ナ 黒河内彩。『話してくれ、雨のように』男岡田一彦 女藤井奈緒美 【スタッフ】演出:本島勲

劇団シアター・ウィークエンド

2018年

みどり演劇塾'18初心者も舞台に立てる!分かりやすく実践的な演劇講座。発表公演に向け、仲間と一緒に楽しく演技を学ぶ。日時:4月10日(火曜日)から7月3日(火曜日)(全12回)午前10時から正午定員:20人費用:6,300円(受講料12回分+資料代)講師:演劇創造"α"の会代表 本島勲、名古屋市:グリーンNEWS(公共施設)(暮らしの情報)

緑文化劇場

〈『〈演劇への手びき〉コトバ・ことば・言葉』(桐原書店、1999)〉より。

7)寺山修司、「座談会=ゴッホ謀殺説を推理したり、ゴッホ芸術のすごさ、おそろしさなどについて語る」粟津則雄、池田満寿夫、合田佐和子『みづゑ』No.860., 1976.11), p.46.

8)Francis Bacon In conversation with Michel Archimbaud (Phaidon Press Limited, 2000), p.30.

9)三好十郎原作『炎の人 ゴッホ小伝』公演記録

清水将夫

『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』舞台

昭和26年

加藤忠

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和33-34年〈ポール・ゴーガン〉

加藤忠

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和37,40年〈ポール・ゴーガン〉

清水将夫

『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』舞台

昭和44年〈ポール・ゴーガン〉

小林清志(吹替)

『炎の人ゴッホ 日本語版』映画テレビ放映

昭和44年

小松方正(吹替)

『炎の人ゴッホ 日本語版』映画テレビ放映

昭和49年

芦田伸介

『炎の人 ゴッホ小傳』

昭和51年

岩下浩

『炎の人 ゴッホ小傳《地方公演》』舞台

昭和52年

岩下浩

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

平成1-2年〈ポール・ゴーガン〉

岩下浩

『炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝』舞台

平成12年

寺脇康文

『コンフィダント・絆』舞台

平成19年

益岡徹

『炎の人』舞台

平成21年・23年〈ゴーガン〉

大滝秀治

『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』舞台

昭和26年

石橋雅美

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和33年

作間雄二

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和34年

関登美雄

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和37年

金親保雄

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

昭和40年

福田秀実

『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』舞台

昭和44年

波多野憲

『炎の人 ゴッホ小傳』舞台

昭和51年

波多野憲

『炎の人 ゴッホ小傳《地人会公演》』舞台

昭和52年

岡橋和彦

『炎の人 ゴッホ小伝』舞台

平成元年

矢野勇生

『炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝』舞台

平成12年

原康義

『炎の人』舞台

平成21年、平成23年

配役宝典第六版ほその2www.geocities.jp/haiyaku_houten/honbun/ho2.html 2018.12.18〉

10)〈1〉伊藤敬の経歴

1934年(昭和9年)に生まれる。

1958年(昭和33年)早稲田大学第一政治経済学部卒。開局した東海テレビに入社。主として制作局と報道局に勤務し、フジ系列の連続ドラマ「夏のわかれ」「二人だけの虹」のディレクター、ドキュメンタリー「おーい!人間」「戦場で聴いたバイオリン」などのプロデューサーを務める。

1989年(平成1年)に制作したドキュメンタリー「私はひとみ」は、第13回国際赤十字社国際映画祭でテレビ部門の金賞を受賞。

1997年(平成9年)に愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞。

1999年(平成11年)東海テレビプロダクション役員を退任、現在、東海テレビ社友、日本演出者協会会員、名古屋演劇ペンクラブ会員。名古屋市緑区在住。

  〈2〉伊藤敬“振り返って想うこと”で日本語訳・演出をした伊藤敬は次のように述べている。

「陽なたの干しぶどう」は、私がこの世におさらばする時に、最後に上演するつもりだった戯曲である。なぜ締め括りの戯曲にしたかったのかを記させて頂く。この戯曲は、今から半世紀前に、アメリカに留学してアメリカの大学の教授と結婚し、アメリカ人になった旧性・横地淑子が私に送って来てくれたものだ。人間の尊厳を謳う内容に感動して私は夢中で日本語に訳した。当時は未だ私も英語が読めたというわけだ。そして、1965年(昭和40年)、名古屋アメリカ文化センターのウィリアム・クロッカー館長が作家であるローレン・ハンスベリーとコンタクトされて日本での上演権を頂いて、故・岡部雅郎を中心とした劇団「名俳」の旗揚げ公演の演目とした。以来、日本でこの戯曲が劇団「名俳」以外に上演されたという話は聞いたことがない。「いい戯曲(ほん)だなあ」と言っていた岡部は、後に愛知県芸術文化選奨文化賞の受賞記念公演でも「これしかない」と再演するほどお気に入りだった。「陽なたの干しぶどう」は黒人の女流作家ローレン・ハンスベリーが、虐げられた先祖を持つ黒人一家の日常の出来事を通して、人間らしく生きようとする人間の姿と希望を描いた作品で、作者の人間凝視の姿勢と登場人物に対する限りない愛が素晴らしい。さて、私自身のことである。演劇者として「良い演劇とは何か」について迷う時期があった。謂ゆる「新劇」の衰退と、謂ゆる「アングラ」の台頭の頃である。「新劇」は丸裸にされて放り出され「アングラ」は発想はあったが演劇の「美」に近づけなかった。チェーホフ、テネシー・ウイリアムズ、アーサー・ミラー、木下順二、三好十郎などからスタートした私は、早稲田小劇場、黒テント、赤テント、自由劇場などを見まくった。自分でもアラバールやイヨネスコや、つかこうへいを手掛けて、ニューヨークのオフ・オフの小劇場作品もやってみたが、何か納得出来なかった。確かに面白く新鮮だったが、私には過渡期の演劇としか思えなかった。1990年(平成2年)、岩波書店が古代ギリシア語から直接日本語訳した「ギリシア悲劇全集」を発刊した。訳者や解説者の中には何人かの懐かしい名前が並んでいた。かつて学生時代に私は東大の演劇研究会に出入りしていて、毎年の夏、日比谷公園の野外劇場でギリシア劇をやっていた頃の先輩や仲間の名前だった。もちろん当時はフランス語か英語から日本語訳した台本だったが。新「ギリシア悲劇全集」に接して以後およそ10年、私は演劇の原点を実践して学びたい一心だった。今も欧米の文化を掘り下げると真中からギリシア文化が出て来るといわれ、地球上でギリシア劇が上演されていない日は無いといわれているが、それにはどういう理由があるのか知りたかった。2500年以上も昔の演劇が今も生きていて廃れていないのは何故だろうと知りたかった。「ギリシア悲劇」は神話伝説に題材を得て、内容の多くは人生や信仰を考えるもので、韻律をもつ美しいセリフや歌で構成されている。浅学ながら私が学んだことは、「ギリシア悲劇」は(イ)観客の心の浄化作用(カタルシス)を演劇の至上目的と考えていること。そのために(ロ)感動を与えるものでなくてはならない。そのために(ハ)話を解り易く、登場人物の気持や感情を解り易く提供しなくてはならない等であった。私は数本を取り上げて上演したが、「アガメムノーン」の時は日本学士院の院長で訳者でもある久保正彰、「オイディプース王」の時は聖心女子大教授の細井雄介、「アンティゴネー」の時には西洋古典を卒論で扱おうとする大学生が10名ばかり来名し観劇。岩波の田中博明編集長は公演毎に足をお運びいただき喜んでいただいた。ただ「次は『エレクトラ』を必ずやるように」という田中編集長のサジェッションに従わずに私が日本の創作劇のステージに進んでしまったことを申し訳なく思う。私にはもう残された時間がないという思いだった。2009年(平成21年)、ギリシア悲劇を「オイディプース王」の再演で締め括って、「ゴッホのためのレクイエム」「テミスの剣」「てぃんさぐの花」と人の心を洗える演劇を目指した。感性も能力も乏しい私にどれ程のことが出来るかは疑わしいが、あと3~4本の企画の準備に入っている。やれるかどうかは、すべて神の思し召しだ。今回、舞台づくりの同志であり私の演劇志向を理解していてくれる小澤寛が主宰する「OfficeKAN」から「陽なたの干しぶどう」を上演したいと相談を受けて、その意気込みに応えることになった。そして戯曲を読み直しているうちに、すごいことに気付いた。「陽なたの干しぶどう」は私の念願となった「人の心を洗う」戯曲だったのだ。おまけに劇団「名俳」の旗上げ公演のパンフレットには「ドラマの激しさとは事件の激しさではなく“カタルシスの激しさだ”」なんて不遜にも私自身が書いていた。「阿呆!お前は進歩していないのだよ」という声が聞こえる。その通りだ。本格的に演劇者としてスタートした作品だからジ・エンド記念にと思っていた阿呆さ加減に自分も呆れてしまう。あの頃はまだ人種差別という事実も理解が浅く、子を思う親の気持ちも理解が浅く、神とも無縁だった演出者の至らなさを今回は自分の年輪が少しは救ってくれるのではないかと神頼みして謙虚に演出を勤めたいと思う。私は準備中の企画があるので「おさらば公演」が先になることになる。変な気持がしないでもないが、「おさらば公演」として私自身の演劇者履歴を総括して、お世話になった方の一部ではあるがお礼を言うつもりで長くなって了った。脚本家や音楽家や美術家の方々、もちろん出演者の方々。書き尽くせない。「OfficeKAN」は昭和区にあって、そこが稽古場。「陽なたの干しぶどう」の本を私に送ってくれた、生涯の友人であり恩人でもある横地淑子の実家は歩いて1分のすぐそこにある。私は前を通りながら「良い作品になるよう頑張るよ」と心の中で云う。すべて神のお導きに違いない。

  〈3〉伊藤敬 作品と作家の紹介
 「陽なたの干しぶどう」は1959年に発表され、アメリカ演劇界に大きな反響を呼んだ。テネシー・ウィリアムズやユージン・オニールなどアメリカの一流劇作家の作品と競って同年度のニューヨーク・ドラマ批評家賞を受け、翌年にはアメリカ演劇、ミュージカルの最高の権威ある賞であるトニー賞なども受け、映画化もされた。
 ブロードウェイに初登場した黒人女流作家ローレン・ハンスベリーは、1930年シカゴ生まれ。ウィスコンシン大学とシカゴのルーズベルト・カレッジを卒業した後、ニューヨークに出て文筆活動に入る。1965年没。夫は作曲家。明日はヤンガー家に亡き父親が残した遺産が届けられる日だ。一家の大黒柱は母親のレナ。敬虔なクリスチャンだ。父親の遺志を継いで子や孫たちがひとかどの人間になることを願っている。白人の家の自家用車の運転手を勤める息子のウォルターは酒の店を開いて一旗挙げようと考えていた。黒人の幸せは金を持つことしかないというのが理由だ。ウォルターの妹のビニーサは外科医になろうと志す大学生。今は家族に学資を出してもらっているが、立派な医者になって恩返しするつもりだ。ウォルターの妻・ルースは他家の皿洗いなどアルバイトをして家計を助けながら息子・トラビスを育てているのだが実は、お腹に赤ちゃんができたらしいことを知って悩んでいる。寝かせる場所もないどころかミルク代さえ心配。いよいよ遺産を受け取る時間が来る。一家はそれぞれの思惑と神経の高ぶりの中で絆が切れ、家族崩壊を迎える。虐げられる黒人の悲劇といえようか。おまけにウォルターが皆に内緒で流用した遺産全部を仲間に持ち逃げされてしまう。

  〈4〉伊藤敬演出『てぃんさぐぬの花』の劇評

ギリシャ悲劇の演出家・伊藤敬は『アガメムノン』さながら大戦末期の沖縄を再現。戦場となった沖縄に肉薄その不合理にメスを入れた。コロスの民衆が沖縄民謡『てぃんさぐぬの花』(鳳仙花)を三味線の伴奏で唄い大団円に導く。マンザナー強制収容所で日系アメリカ人サムと譲二が日本語通訳として志願し沖縄で同郷人と戦う。二人は戦場で二つの祖国に挟まれ矛盾に陥り悶々とする。沖縄の格差社会から同郷人の骨肉を争う挿話が発展、その結果次第に脇筋がゴチャゴチャと瑣末に展開し、本筋が曖昧になった。ドラマはフィクションだから時事問題に拘泥することよりも、ともかく中身が肝心だ。サム役の小澤寛は誤解で旧友を失い慟哭する。小澤はバケツの底が抜けてしまうほど悲愴感を曝け出して平和の尊さを噛み締めた。大戦中日系人と愛蘭系米人の夫婦を描いた映画『愛と悲しみの旅路』や日系とアポリジニーの夫婦を人形劇にした『ミス・タナカ』がある。何れも異邦人と結婚した夫婦が差別を被る悲劇から民族を超えた恒久的な平和を求める。ドナルド・キーンは沖縄に通訳として参戦。日本人捕虜と交流を深め戦後日本に帰化した。キーンがめざす平和は人間の尊厳と平等である。伊藤はサムを通じて沖縄の悲劇の上に平和の祈りが築かれたと纏めた。日系米国人のサムと譲二は、日本語通訳を志願して沖縄戦線に参加する。2人は戦場で「二つの祖国」に挟まれる矛盾に陥り悶々とする。沖縄の格差社会から同郷人の骨肉を争う挿話が発展する。

〈5〉伊藤敬 演出歴 劇団「創作座」を経て、“楽しく豊かでヒューマンな舞台”を目指して結成した劇団「名俳」の旗上げに参加

1965

昭和40年

ローレン・ハンスベリー・作/伊藤敬訳 「陽なたの干しぶどう」

岡部雅郎、藤城健太郎、渡辺美智子,小林恵子、高部滋子、深谷みさおほか

1966

昭和41年

稲葉 修作 「遠くにテレビ塔が見える周辺」

天野有恒、鎌田吉三郎、天野鎮雄、岡部雅郎、柾木卓、南知子ほか

1968

昭和42年

木下順二作 「山脈」

南知子、天野鎭雄、岡部雅郎、高部滋子、小林恵子、藤城健太郎ほか

1968

昭和42年

アーサー・ミラー作 「みんな我が子」

岡部雅郎、渡辺美智子、天野鎮雄、高部滋子、鎌田吉三郎、小林恵子ほか

1969

昭和44年

安部公房作 「友達」

天野鎮雄、柾木卓、南知子、山下正午、藤田康雄、坂野加納子、岡部雅郎・他

1970

昭和45年

アラバール作 「戦場のピクニック」

山下正午、南知子、岡部雅郎ほか

1970

昭和45年

生田直親作 「不毛のカルマ」

藤城健太郎、南知子、天野鎮雄、高部滋子、藤田康雄、谷口徹次ほか

1970

昭和45年

フォルネース作 「三号の快調人生」

山下正午、岩田竜彦ほか

1970

昭和45年

安部公房作 「幽霊はここにいる」

大村一平、岡部雅郎、明石良、諸星倬次、南知子ほか

1971

昭和46年

アラバール作 「ゲルニカ」

藤城健太郎、天野鎮雄、岡部雅雄、加納基代、池沢恵美子ほか

1972

昭和47年

アラバール作 「迷路」

祖父江文宏、柾木卓、中村幸代、柴山とも子、岡部雅雄、加納基代ほか

1972

昭和47年

木下順二作 「絵姿女房」

岡部雅郎、沢田智子、山下正午ほか

1972

昭和47年

テネシー・ウイリアムズ作 「ガラスの動物園」

南知子、高部滋子、藤城健太郎、岡部雅郎ほか

1973

昭和48年

イヨネスコ作 「授業」

岡部雅郎、津川聖子、柾木卓ほか

1974

昭和49年

つかこうへい作 「熱海殺人事件」

藤城健太郎、岡部雅郎、柾木卓、山下正午、深田桃代ほか

1975

昭和50年

ソートン・ワイルダー作 「わが町」

山下正午,深田桃代、岡部雅郎、柾木卓ほか

1976

昭和51年

矢代静一作 「写楽考」

山下正午、南知子、岡部雅郎、柾木卓、天野鎮雄、鈴木仁ほか

1977

昭和52年

井上ひさし作 「11ぴきのねこ」

柾木卓、岡部雅郎、山下正午、伴島淑子、鈴木仁、高橋治ほか

1978

昭和53年

矢代静一作 「妖かし」

深谷みさお、岡部雅郎、手塚斉、神田京子、山下正午、水谷義賢ほか

1980

昭和55年

泉 鏡花作 「海神別荘」

中本修、岡部雅郎、神田京子、岡田圭介、柾木卓、深田桃代ほか

1992

平成4年

「陽なたの干しぶどう」 愛知県芸術文化劇場開館記念・あいちの芸術家シリーズで再演

岡部雅郎、眞津田美沙子、西根智彦、紀ノ国悦子、柴崎美江、益川京子他

伊藤敬「ギリシア悲劇」上演期。彫刻家の故・石黒鐵二名古屋造形大学長の協力も得て、ギリシア悲劇の原点である仮面劇とするなど学究的な姿勢に徹した。

1993

平成5年

ソポクレス作/岡道夫訳/山下智恵子脚本 「オイディプース王」

岡坂慶紀作曲/水谷昌平指揮 

愛知県芸術文化劇場開館記念 

岡部雅郎、山田 昌、原田邦英、天野鎮雄、舟木淳、伊藤春雄、鳥居美江、藤城健太郎、杉浦俊、柾木卓、外山文孝ほか

1993

平成5年

長岡輝子、はっとりちはる脚本 「さるすべりの花咲く丘から見下ろすしぼりの郷」

岡部雅郎、松原実智子ほか

1996

平成8年

阪田寛夫作/大中恩作曲/水谷昌平指揮 合唱ミュージカル「さよなら かぐや姫」

松波千津子、長柄孝彦、奥村晃平、井原義則、澤脇達晴、伊東佳代ほか

1999

平成11年

ソポクレス作/呉茂一訳/山下智恵子脚本 「アンティゴネー」

岡坂慶紀作曲 水谷昌平指揮 

鳥居美江、鈴木林蔵、石河美幸,小澤寛、西脇瑞紀、石黒寛、天野鎮雄、藤崎健太郎、岡田圭介、外山文孝、澤脇達晴、舟木淳ほか

2001

平成13年

エウリピデス作/高橋通夫訳/はっとりちはる脚本 「アウリスのイーピゲネイア」

岡坂慶紀作曲 水谷昌平指揮

大槻博子、西脇瑞紀,寺本久美子、夏目久子、天野鎮雄、藤城健太郎、柾木卓、西根智彦、早川けい、小澤寛、鳥居美江、石黒寛ほか

2002

平成14年

堀尾幸平、はっとりちはる脚本 朗読劇「エルムノンビルの森」

藤城健太郎、田中幸子、柾木卓、舟木淳、松原実智子、原エリザベス、鳥居美江、小澤寛ほか

2004

平成16年

アイスキュロス作/久保正彰訳/伊藤敬脚本 「アガメムノーン」

塚本一成作曲 水谷昌平指揮

天野鎮雄,柾木木卓、沢脇達晴、野村富昭、大槻博子、水谷朋子、西脇瑞紀、塚本伸彦、小澤寛、米丸史朗、宮崎智永、池戸陽平、鳥居美江ほか

2009

平成21年

ソポクレス作/岡道夫訳/山下智恵子脚本 「オイディプース王」 再演

小澤寛、鈴木林蔵、内藤美佐子、藤沢理子、天野鎮雄、服部廉ほか

「ギリシア悲劇」から学んだこと、中でも、コロスを重要視するドラマトゥルギーに留意して創作劇の上演を始める

2010

平成22年

朗読劇 福村芳博台本 「楠の風景」/堀尾幸平、はっとりちはる台本 「サクラ桜の物語」

小澤寛、内藤美佐子、山本仁、西根智彦、徳川昌子、清水陸子ほか

2011

平成23年

伊藤敬構成/福村芳博脚本/清水義和作画 「ゴッホのためのレクイエム」

小澤寛、深山義夫、田中幸子、火田詮子、伊沢勉、市川太一、益川京子、古池鱗林、江崎順子、内藤美佐子、野畑幸治、高橋慎祐、鳥居美江、上田定行、三雲一三、米丸史朗、美口啓子、天野鎮雄ほか

2013

平成25年

伊藤敬構成/福村芳博脚本 「テミスの剣」

上田定行、野畑幸治、荒川洋子、新間正次、児玉俊介、小澤寛、楡さとし、鳥居美江、天野鎮雄、早川けい、真津田美沙子、山本海夏子、田中峰子、舟橋健一、光本基江、竹内幸司、池戸陽平、西根智彦ほか

2015

平成27年

伊藤敬・福村芳博・山岸千代栄脚本 「てぃんさぐの花」

児玉俊介、内藤美佐子,鈴木幾子、末吉康治、天野鎮雄、打田茂、野畑幸治、上田定行、小澤寛、新間正次、沢田靖一、近藤未緒子、桂元枝、清水陸子、小島彩子、小林恵、荒川洋子、竹原大二ほか

〈office KAN.2018.12.12〉提供

参考文献

Shakespeare, W., Macbeth Edited by A.R. Braunmuller (Cambridge U.P., 1997)

Pinter, Harold, Complete Works: One to Four (Grove Press, 1981)

Gayford, Martin, The Yellow House (Little Brown and Company, 2006)

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拝啓

 2019.4.25

新しい時代「令和」の幕開けも近く、皆様には益々ご精栄のこととお喜び申し上げます。

私こと地球一周の船旅・アフリカ・南米・南太平洋コースから無事帰国いたしました。

1981年に出来たクラシックなデンマーク船オーシャンドリーム号3万トンにて、乗船客は約800人の日本人、200人の中国、台湾、シンガポール他の外国人に250人の多国籍乗務員が乗っていました。(船長はウクライナ人)。

何せ満80歳の高齢者の身ですから、95日間の船旅に適応出来るかどうか半信半疑のまま思い切って出かけましたが、素晴らしい自然と環境に囲まれ、生きることに熱心な沢山の仲間たちと共に過ごす自由な暮らしにすっかり若さを取り戻した感じでした。

ヨーロッパへは国際会議など用あり度々出かけていますが、南米、アフリカへの機会はめったになく、これからもないと諦めておりましたが、夢に描いたイグアスの滝、イースター島のモアイを実際に目にすることができ、感激でした。また世界地図上、重要な位置にあるアフリカ大陸先端のケープタウン・喜望峰が大変強風で波の高い所であるのを体験したり、

南の果て、南米大陸先端のみぞれ降る港町ウシュワイアの詩情など、自分が地球上に生きる実感を味わうことが出来ました。南アフリカのサファリでは、親の下でこどもが無心でじゃれあう象の家族やホワイトライオンの家族、精悍なシマウマ、キリンらの平和な姿を目にしましたし、海上では夥しい数のペンギンやアザラシが生息していました。訪れた南の島々で出会った不思議な鳥や花、草、木、素朴な人々の優しい目ざしは心を豊かにしてくれました。

 こうした生きとし生けるものと共存する人間社会はやはり地球上の平和を目指さねばと願う気持ちが心から湧いています。

 中国(アモイ)、シンガポール、モーリシャス、レユニオン島、マダガスカル、モザンビーグ、南アフリカ、ナミビア(砂漠が壮大でした!)、ブラジル、ウルグアイ、ベノスアイレス、ウシュアイア、チリ、イースター島、パペーテ、ボラボラ島、サモアに寄港した強烈な印象はまだ熱く胸に残っています。何かご質問あればぜひお尋ねください。

余生は決して長くない私の人生、毎日を精一杯生きるのが大切と思うに至りました。 

この船旅の意外なプレゼントとして、ピースボート本部より2回にわたる船上文化講演会の講師に招かれ「からくり人形ー愛知のものづくりの源流」「知立からくり人形の伝統継承と発展」を講演することが出来ました。各200人以上の全国区の受講者があり、その後、船の中でちょっとしたからくり人形ブームが起きるなど、自分のライフワークをご披露出来たことは幸いでした。

以上話は尽きませんが、しばらくご無沙汰のお詫びを申し上げ、今後ともよろしくお付き合、ご指導賜ります様お願い申しあげます。

皆々様のご健勝、ご発展をお祈りいたします。

ごきげんよう。

 

      千田靖子